文部科学省の指定により、不登校の子どもの実態に配慮した特別の教育課程を編成できる「学びの多様化学校」は現在、全国に35校あります。その一つがこの春、大分県に開校したばかりの「玖珠町立学びの多様化学校」です。準備を始めてわずか9カ月で開校にこぎ着けたいきさつや今の学校の様子を、2人のキーパーソンに聞きました。
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1969年大阪府生まれ。5歳の時に両親が離婚。離婚をきっかけに別府市内の母子生活支援施設で幼少期を過ごす。大阪教育大学「小学校教育(夜間)5年専攻」を卒業、臨時講師の期間を経て、97年から小学校教諭として杵築市、別府市で勤務。2006年から18年間、別府市教委などで教育行政などに携わる。24年から現職。
上田 椋也さん(うえだ・りょうや、玖珠町教育委員会参事)
1996年静岡県生まれ。小中学生時代の海外経験から国の教育制度の違いを知る。大学時代は比較教育学を学び、オランダでイエナプランなどのフィールド研究に取り組む。2019年に文部科学省入省、23年から大分県玖珠町に派遣され、中学校教員として勤務しながら、玖珠町立学びの多様化学校の設立に関わる。24年から現職。
――玖珠町立学びの多様化学校の設置のきっかけは何でしたか?
上田椋也さん(以下、上田さん) 玖珠町は、人口1.4万人ほどの小さな町で、児童生徒は千人未満。町内には、小学校が6校、中学校が1校あります。2024年4月、公立の小中一貫校(義務教育学校)としては九州で初の「学びの多様化学校」として開校しました。24年11月現在、22人の児童生徒が通学していて、平均登校率は8割ほどです。
近年、玖珠町では、不登校の児童生徒数が年々増加する傾向にありました。特に中学校での不登校の割合が11~12%と、全国平均の5%と比べてもかなり高い状況でした。これまでも、町立の教育相談センターの設置に加えて、各校でも不登校支援を実施していましたが、思うように状況が改善しないことを受け、設置に踏み切りました。
普通、学校を新設するためには、どれほど早くても2~3年間くらいは準備に時間を要するはずですが、私が梶原敏明教育長から最初に相談を受けたのは、23年7月でした。「今まさに川で流されている子どもを目の前に、制度がないから対応できないというのは許されない。これは緊急事態である」という教育長の号令の下、9カ月後の開校を目指して、全くのゼロから準備を始めました。
すべての子どものための学校を
――学校新設にあたり、どのようにプロジェクトを進めましたか?
上田さん 急いで学びの多様化学校を持つ全国の自治体にオンラインで取材を申し込み、多くが親身になって相談に乗ってもらいました。その後、総合教育審議会を実施して、学びの多様化学校の設立を含む答申をいただき、議会での設置条例の議決に進みました。3月に文科省からの指定を受け、なんとか滑り込みセーフで4月の開校にこぎ着けました。町長や議会を含め、町を挙げて応援してもらったことが大きかったです。
開校にあたっては、地域からの支援が大きな支えになりました。町内外の企業や個人による寄付や、校舎の清掃作業など多くの町民の皆さんがボランティアで力を貸してくださいました。
――具体的に、どんな学校を作ろうと話し合われたのでしょうか?
上田さん 総合教育審議会から答申をいただいた際、教育長が町内の学校へメッセージを発信しました。要点は、不登校を家庭や個人の問題に矮小化するのではなく、学校教育や社会そのもののあり方に対する子どもたちからの問題提起として捉えるべきということです。
これまでの学校教育が本当に全ての子どもにとって安心して通える場所であったか、取り残されたり、苦しんだりする子どもがいなかったのか、改めて考え直すことこそが、私たち大人の責任であると感じました。
私たちが考える学びの多様化学校は、「不登校のための学校」ではありません。「すべての子どものための未来の学校」を作ることを基本コンセプトに、どんな子どもでも自分らしく学べる学校を目指そうと、学校づくりを進めました。
小原猛さん(以下、小原さん) 最初の大きな仕事は教育目標を作ることでした。一般的な学校では、年度当初に校長が自らのビジョンを学校の教育目標も含めて教職員に示す場合が多いのですが、本校では自分たちで一から作ることを目指しました。
10日間ほどかけて、ようやく「みんなが主役の学校」という、基本コンセプトと、「みつける」「つながる」「ひろげる」という三つのキーワードからなる教育目標ができあがりました。
本校では、職員と児童生徒は、私のことを「校長先生」ではなくて、……