不登校となっている小中学生が30万人に迫る現状をどう考えるか。今回の「#知りたいを聞く」は、不登校で苦しむ当事者や保護者の声を発信し、支援するメディア「不登校新聞」の編集長・茂手木涼岳(りょうが)さんへのインタビューの後編です。学校現場として不登校問題にどうアプローチするべきかや、学校・行政とフリースクールを含む民間事業者との連携などについて語っていただきました。
茂手木涼岳さんへのインタビューの前編はこちら
1981年生まれ。図書館でのアルバイトと会社員を経て、不登校新聞社で事務アルバイトとして働き始める。その後、編集スタッフに。2022年に3代目編集長に就任。小学生の娘の父でもある。
――子どもが学校に行き渋るなど、不登校の兆候を見せた場合、学校ではどのような対応を取るのでしょうか。
対応は学校によって違います。一部では、不登校対応のマニュアルがある学校もあります。例えば、3日休んだら家庭訪問する、1週間で対策チームを立ち上げるなど、対応をマニュアル化しているのだとか。
ひと昔前は「何としても学校に来させる」といった考えが主流でしたが、教育機会確保法や文部科学省の通知などによって、また、スクールカウンセラーが配置されたことによってメンタルヘルスへの理解が広がったこともあり、「登校刺激」一辺倒の対応は、以前ほど多くありません。
ただし、先生個人の不登校への理解度や考え方によっても対応方法は違うはずです。先生によっては、かつてのように不登校の子どもを無理にでも学校に連れて行こうとするといった指導もあるようです。
都市部では、学校へ行きたくない子どもには、教育支援センターをはじめ、学校以外の場所で学ぶ選択肢もあってよいという考え方が一般的になりつつあります。一方、引きこもりに対する世間の目が厳しく、ひきこもりを恥ずかしいことだと考える風潮は、地方を中心にいまだにあるようです。
適度な距離感で、そっと見守ってほしい
――不登校の子どもへ、学校にはどのような対応が求められるのでしょうか。
ある中学校の教頭先生は、「生徒が不登校になると、家庭訪問や電話連絡など、とにかく仕事が増える」とこぼしていました。それも一つの本音なのだろうと思います。
個人的な考えですが、学校はあくまでも大人数を相手に効率よく教育を提供する場なので、不登校の子ども一人ひとりに手厚い支援を求めるのは限界があると思います。ゆとりがあれば個別対応もできるでしょうが、先生はあまりに忙しすぎます。
現実的に考えると、子どもが学校へ行けなくなった時点で、学校側が保護者に支援サービスなどを紹介するのが望ましいのではないでしょうか。地域のどこにどんなフリースクールがあるか、相談できる場所は民間と公的なものを含めてどれくらいあるかといった情報を、学校側があらかじめ把握しておいて、保護者に案内するのです。
そのためには、学校という公的機関とフリースクールなどの民間事業者の連携が欠かせません。
例えば大分県では、不登校を経験した保護者がつながる「親の会」と教育委員会の連携が進んでいます。教育委員会が発行する「不登校児童生徒支援ガイド」というパンフレットに、県内の教育支援センター、民間フリースクール、不登校の親の会などの情報が、全て網羅されています。行政と民間が手を組んで情報発信している好例だといえるでしょう。
また、行政が市民団体と協力して取り組みを進めている千葉県では、2023年3月に自治体としては全国で初めて、「不登校児童生徒の教育機会の確保を支援する条例」を制定しました。この条例では、行政、学校、フリースクールなどが連携しながら、子どもの学びの保障と将来の自立を目指すことが目標として掲げられています。
これらの事例は全国的に見るとごく一部で、多くの学校現場ではいまだに十分な連携を図れていないのが実情です。
――不登校への対応において、教職員の何げない言動が子どもや保護者を追い詰めてしまうケースもあるようです。対応する際の注意点は。
厳しい先生や、優しい先生、いろいろな考え方を持つ先生がいて、それによって不登校への対応も違います。それでも、全ての先生が子どもに敬意を払い、相手を第一に考える姿勢さえ持ってさえいれば、どんな対応であってもどうにかなるように思います。
子どもたちに信頼してもらうためには何より、相手を一人の対等な人間として尊重する姿勢が不可欠です。先生にはどうか、子どもにとって「信頼できる大人」でいてもらいたいと思います。
学校はもっと気楽に休める場所であるべき
――不登校にならないような仕組み作りなど、予防的な取り組みも必要だと思います。不登校を減らすためには何が必要だとお考えですか。
まず、私は必ずしも不登校が問題であるとは考えていませんが、不登校が原因で子どもが苦しむ状況は改善されるべきです。
多くの子どもが、学校生活のストレスに耐えられなくなって、学校へ行けなくなっています。とにかく学校が辛いことが根元にあるわけです。心が辛い時には休んで傷を癒やす必要があります。これは、大人も子どもも変わりありません。休んで元気になったらまた行けばいいと思います。
子どもにとって現在の学校は、気軽に休みにくい場所になっていると感じます。「脱ゆとり教育で学習の進み方が早い」「部活をサボると文句を言われる」「数日休むとクラスメートのノリについていけなくて怖い」など、学校を休むことへの後ろめたさがが、そもそも大きなストレスになっているのではないでしょうか。どうすれば休まないですむかよりも、どうすればもっと気楽に休めるかについて考えた方が、結果的に不登校の減少につながると思います。
――最近は、起立性調節障害という言葉を耳にする機会も増えました。そうした障害が不登校の原因になるケースも多いとお感じですか。
はい。そうした話もよく耳にします。朝起きられないとか、自律神経が乱れて生活リズムが不規則になってしまうだとか、昔は「サボりぐせ」といった言葉で片付けられてきた事象に、症状として名前が与えられて認知され、理解が進むのはよいことだと思います。
日本小児心身医学会の報告によれば、軽症例も含めると、小学生の約5%、中学生の約10%に起立性調節障害の症状がみられるそうです。
当事者にとって、苦しみの原因が何か分からないことが何よりも不安でしょう。起立性調節障害という診断によって、自分を納得させられるだけでなく、傾向と対策を立てて、どう向き合えばいいかが明確にできるはずです。
この視点について、行政や学校の認識は十分に追いついてないと感じます。文科省の統計では、不登校の理由の多くが「無気力」や「生活リズムの乱れ」であると報告されています。この中には、起立性調節障害と診断される事例も少なからず含まれていると思います。
起立性調節障害の子どもが無理して登校して、授業中にぼんやりしてしまう。その様子を見た先生が無気力だと判断する場合もあるでしょう。しかし、「無気力」というのはあたかも子どもに責任があるような表現で、適切でないと思います。学校側の認識が十分にアップデートされていないことが問題です。
――教職員に向けて、メッセージをお願いします。
不登校の子どもや保護者はたくさん傷ついています。保護者にとって、毎日学校へ欠席の連絡をするという行為一つとっても、おらく、先生が考える以上に苦しい思いをしています。不登校になった子どもとその親にとって、基本的に学校と関わること自体が辛いことです。できれば、そっと見守っていてもらいたいと思います。
先生による家庭訪問が辛かったという当事者の声もよく耳にします。子どもにとって、家庭は学校のことを忘れられる安全地帯です。そこに先生が入ってきてしまうと、聖域が侵されるようで、子どもにとっては辛く感じます。手紙で「学校に来てね」などとメッセージを伝えるのも同様です。不必要にプレッシャーを与えることは避けてもらいたいです。
つかず離れずの距離感を保ちながら、子どもから求められた場合には、しっかりサポートする。そういう姿勢で不登校に対応していただくことを願います。
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