「廊下は右側を歩きましょう」という言い方は学校の古い組織文化の象徴で、子どもを主語にすれば、「廊下はぶつからないように歩きましょう」になるはずだ――。大阪市立大空小学校の元校長、木村泰子さんはそう説きます。教員不足や不登校といった課題を解決するために、学校のどんなところを変えていけばいいのでしょうか。先生方も子どもも生き生きと過ごせる「学校づくり」を、木村さんとともに考えます。

木村さんの名が教育界に広く知られるようになったのは、2015年に映画「みんなの学校」が公開されてから。06年に開校した大空小学校の初代校長として、常識にとらわれない学校づくりを進める様子を追ったドキュメンタリー映画だ。木村さんが子ども一人ひとりに向ける温かなまなざしは、学校のルールで子どもたちを管理しようとする発想とは対極にあるものだった。

映画「みんなの学校」公式ホームページ

木村さんがその前に校長を務めたのは、児童1千人を超える大阪市一のマンモス小学校だった。教員が子ども一人ひとりに目を配るのは難しく、学校は荒れ、不登校の子どもも多かったという。木村さんは新学校の設置が急務であることを区長にじかに訴えた。地域の理解も得て開校した大空小では、障害がある子も、暴力を振るう子も、分け隔てなしに一緒に学ぶ「子どもを主語にした学校づくり」を進めた。そのために固定担任制を廃止し、教員全員で全ての子どもたちを見る「全員担任制」も導入した。

――なぜ小学校の先生になったのですか

小学校の先生になりたいだなんて、ただの一度も思ったことがありませんでした。小学校の先生は子どもを叱りつけるために存在する人たちだ、なんて思っていたほどですから。そういう人間が小学校の先生になってしまったんです。

教師という仕事に憧れはあったんですよ。ただし、それは体育専門の教師。小さい時から運動が大好きで、広い運動場があって、そこに跳び箱があったり、鉄棒があったりしたら、それだけでうれしいという子どもでした。短大を出るまでその夢を持ち続け、中学の体育教員の採用試験を受けて合格しました。ところが、その年、大阪市内の中学校はどこも口がなかった。その代わり「あなたは4月から小学校で働いてください」という辞令が来て……。短大でたまたま小学校教員の免許も取っていたのです。

というわけで、腰掛け気分で勤め始めた小学校でしたが、子どもたちと出会ったその日から、中学校の教師になりたいという思いがどこかに消えてしまいました。以来、ただの一度も迷いなく、45年間、小学校の教師を務め上げました。

――子どもたちと接した時、木村さんの中で何かが変わったのですね

「教師の仕事の主語は目の前の子どもたちだ」ということに気がついたんです。そうなるともう、自分の意思など二の次になりました。私が受け持ったクラスは45人か46人の子どもがいたわけですが、45人の子どもがいたら45人の主語があって、45通りの自分らしさを持っている。そこを起点にして「先生の仕事って何?」という問いが始まりました。

映画「みんなの学校」の場面から©関西テレビ放送

逆に言うと、子どもたちは、教師を主語にした学校という組織の中で「一人ひとりが自分らしく学ぶ権利」を奪われてきたということです。例えば、言うことを聞かない子の評価を低く見る、席に座っていられない子を別の教室へ離すといった処置は、全て教師を主語にしています。私が新任教員だった頃は、まだまだ古い学校を引きずっていた時代でしたが、こうしたことは今でも横行していると思います。

その意味で、新しい学習指導要領は、ようやく古い時代から抜け出した理念を持っていると思います。「主体的・対話的で深い学び」というのは「子どもが主語やで」と言っているわけですから。

教師としての原体験

――なぜ木村さんは、半世紀も時代を先んじていたのでしょう?

それには長い裏話があるんです。私は短大の時、全国で6位入賞というレベルの水泳の選手でした。種目は背泳ぎ。なぜ背泳ぎだと思いますか? そこに私の教師としての原点があるんです。

私は何しろ運動会の徒競走では1等以外になったことがないし、マラソンでも男の子に負けたことがないくらい運動では抜きんでた子どもでした。ところが、水泳だけは全くダメ。泳ぎ以前に、顔を水につけるのが怖かった。だから、夏になると「耳が痛い」などと仮病を使ってプールに入らずに済ませてきました。

6年生の夏休みに「学校のプールに来い」と言われました。重たい気持ちで学校へ行くと、プールサイドに3人の先生が待っていました。水がどれだけ怖いか、水が怖い人間にしか分からないものです。今でも映像としてはっきりまぶたに残っていますが、1人の先生が「運動はなんでもできるんやから、水に入れば泳げるようになるぞ」と言って私をプールに突き落としたんです。次の瞬間、私は水着のまま家まで逃げました。

すぐに学校に連れ戻されたんですが、その時残っていた別の先生が「水の何が怖いの?」と聞いてくれたんです。「顔を水につけると息ができないから怖い」と言ったら、「じゃあ安心しろ。まず自分から水に入れ」と。そして、「顔を水につけんでも泳げる方法を教えてやる」と。それが背泳ぎです。先生が後ろから首を支えて25メートル泳がせてくれました。人間は安心したら自然と浮きます。安心せぇへんと沈むわけです。

映画「みんなの学校」の場面から©関西テレビ放送

中学校でも私一人、上を向いて泳いでいたら、「すごい子がおる」ということになりました。だって、体育の学習指導要領に「背泳ぎ」がないのですから。今でもクロールと平泳ぎしかなくてとても残念に思っていますけれども、とにかく背泳ぎができるのはすごいということで、水泳部の顧問の先生から入部してくれと懇願された。で、入部したら、1年生で近畿大会出場です。「水が怖い」という、私が人より劣っていた部分を、たった一人の先生が強みに変えてくれた出来事でした。

教師は子どもを分かったつもりでいても、分かっていないことがたくさんあります。運動が何でもできる子は「水泳もできる」というくくりで見られますが、でも、そうじゃない。勉強ができる子でも困っていることがあるかもしれないし、友達と仲良くやっている子でも悩みがあるかもしれません。一人ひとりの困っていることを先生が聞いてあげて、学校が安心できる居場所になったら、子どもはみんな隣の人を大事にしながら自分らしく学んでいきます。

「学校の当たり前」が弊害に

――教員不足や若い教員の離職率が上がっていることをどうみていますか

離職率よりも大きな問題は、教師を志望する若者が減っていることです。働き方改革が進んでいないことが大きな要因だという見方が一般的ですが、私の考えはちょっと違います。働き方改革の前に必要な改革があると思うのです。