「親が良いと思って子どもにしていることが、まさかの教育虐待になる?」「自分やパートナー、知り合いはどうだろうか」。子育てや子どもの教育に関わる人にとって、教育虐待はセンセーショナルな言葉かもしれません。この記事では、教育虐待という言葉を広げ、メディアで注目を集める『やりすぎ教育』の著者が、教育虐待について知っておきたいポイントを丁寧に解説します。

1.教育虐待とは

教育虐待とは、親が子どもを思い通りに育てようとして、教育やしつけを名目に行う心理的、身体的虐待です。たとえ子ども本人が嫌がっても苦しんでも、子どもの意志を尊重せずに、やらせるべきと思ったことを無理強いし、結果的に子どもの健全な発達を阻害します。

2.どこからが教育虐待? 事例から見るボーダーライン

教育虐待は子どもに対して教育やしつけを名目に行われる虐待を指しますが、子どもへの教育やしつけそのものは日常的に行われている行為です。立派な子どもになってほしいと思い、それに熱心になる親は少なくないでしょう。しかし熱が入りすぎて一定のボーダーラインを超えてしまうと、教育虐待になる可能性があります。

教育虐待と教育熱心のボーダーラインがどこにあるのかを考えるために、まずは教育虐待の様相を、極端な事例から身近な事例まで幅広く描写します。

(1)受験や進路の強制

教育虐待というと、このイメージを持つ人が少なくないでしょう。

有名大学や医大への進学、中学受験、コンクールや試合における成功、技術の習得やしつけなどのために、子どもの日常生活を厳しく管理・制限し、目標が達成されないと、叱責、罵倒、無視し、あるいは体罰などの制裁を加え、子どもの人格を否定するような言動をエスカレートさせていきます。

教育虐待によって追い詰められた子どもが親や家族を殺害する事例として、古くは1980年の神奈川金属バット両親殺害事件、近年では、滋賀医科大学生母親殺害事件、鳥栖両親殺害事件などが知られています。また、名古屋小六受験殺人事件のように、親が子どもを殺害してしまった事例もあります。多くの事例に共通する点は、親側に虐待の認識がほぼなく、子も親の期待に応えようとしていた時期があるということです。 

(2)勉強やスポーツ・音楽などの習い事の強制

(1)のような事件になる一歩手前ですが、子どもが勉強やスポーツ・音楽などの習いごとを強制させられ、親を毒親と呼ぶほどまでに傷つき、生涯恨み続けるような事例です。

親が子に、日頃から常にいい成績を取るように口を酸っぱくして言い続け、自由な行動を制限し、遊ぶ時間を奪い、しばしば休憩や睡眠さえ剥奪します。やればできる、我慢すれば後に良い生活が待っていると子どもに信じ込ませようとし、努力を強います。

子どもは親に愛されたい、経済的に従わざるを得ない、抵抗しても負けてしまうなどの理由で、親の価値観を内在化していき、自分でもよい成績が出せるように努力を試みますが、年数を重ねるうちに限界を超えて、自傷行為をしたり、複雑性PTSD(災害や事故、暴力などの一回限りのトラウマではなく、繰り返される一見軽微なトラウマの積み重ねが、さまざまな精神症状を生む精神障害)の様相を呈したりすることも少なくありません。 

また、親の言う通りにして、たとえ経済的成功や社会的地位を手にしたとしても、生涯に渡って自己否定の気持ちが消えなかったり、うつ状態が続いたり、摂食障害になったりすることもあり、精神的な意味合いでそのマイナスの影響が続きます。

一方、親に反発できる子どもの場合、家庭内暴力、家出、非行など、自分の人生にとってマイナスになりかねない反社会的行動によって親の加害や家庭環境から逃れようとすることもあります。

(3)日本社会に流布している身近な教育虐待

一方、より一般的に見られる教育虐待は、次のような「よくある小さなこと」の長期に渡る集積によって起きます。