フリーアナウンサーとして活躍する町亞聖さんは高校生の時、母親の病気が原因で家族の世話と介護に追われる毎日を送るようになりました。ヤングケアラー当事者だった過去を振り返りながら、当時困難を感じていたことや、今の学校や先生たちに対しヤングケアラーの問題にどんな対応を求めるかを伺いました。10月5日には、町さんを講師に迎える寺子屋朝日の無料ウェビナーを開催します。

【無料ウェビナー】学校や教職員がヤングケアラーにできること 町亞聖さんの願い

――町さんご自身がヤングケアラー当事者となった経緯を教えてください。

私が高校3年生の時に母が倒れました。忘れもしない、3学期の始業式の日です。普通ではない頭痛を訴える母を病院へ連れて行き、翌日の検査でくも膜下出血が見つかりました。病院から戻った父から「お母さんが死んでしまうかもしれない」と聞いて、思わず家から飛び出したことを覚えています。重大な事態であることは理解できましたが、何が何やら、ほとんどパニック状態でした。私は18歳で高校3年生、弟は15歳で中学3年生、妹は12歳で小学校6年生でした。

緊急手術が無事に成功した後も、予断を許さない状況が何週間も続きました。ある登校日、先生が教室に飛び込んできて、急いで病院へ向かうように言われました。母の容体が急変したのです。一時は心肺停止になりながらも、人工呼吸器を装着しどうにか一命を取り留めました。集中治療室を出た母は、それから約1年間、療養型リハビリ病院で入院生活を送ることになりました。右半身麻痺(まひ)と言語障害、当時は診断名はありませんでしたが、今でいう高次脳機能障害が残りました。

――それまで当たり前だった生活が、ある日突然変わってしまったのですね。

当時、父から「今日からはお前が母親だ」と言われたのですが、それは……