寺子屋朝日for Teachersが5月に始めた「ともに考える 私たちの学校プロジェクト」は7月17日で3回目となります。東京学芸大学などの「未来の学校みんなで創(つく)ろう。PROJECT」がまとめた学校改革の提言を基に、全国の先生たちがありたい学校の姿をオンラインで話し合い、より豊かな「提言ver.2」をつくっていきます。プロジェクトに関わる先生方のリレーコラム、今回は岩倉高等学校(東京都台東区)教諭の松本祐也さんです。
1978年鳥取県生まれ。青山学院大学大学院修了。大学卒業後よりサポート校、技能連携施設、大学受験予備校、中高一貫校などで実践を積む。専門は日本史。2019年度NITs大賞優秀賞受賞。昭和女子大学現代教育研究所研究員、東京私学教育研究所特別研究委員も兼務し、未来の学校について研究中。
未来と向き合う
未来を考えることは終わりがないテーマである。最近ではビッグデータを活用した大規模シミュレーションまで行われているが、未来は未知のことが多く「答えがない」ために不安や心配がつきまとう。教育現場でも同じ状況で、従来のやり方では対応しきれない場面に直面することも多い。児童生徒や保護者だけでなく教員も「答えがない」時代を生きる大変さを感じている。
6月の座談会で、SDGsが話題に上がった。「持続可能(S)」と「開発(D)」は両立するのかという問いである。私たちはこのフレーズを何げなく耳にするが、どこまで考えることができているのだろうか。私たちの生活は本当に持続可能なのだろうか。学校内の活動も、教室、職員室、会議、部活動、研修など多岐にわたるが、それらが持続可能なのかと問われると、首を縦に振れないこともある。
持続可能について考えてみる
月1回、能の一部を面や装束を着けずに舞う「仕舞」の稽古に出かけている。師匠から教わる内容は常に伝統を感じさせる。体で感じつつ、仕舞そのものに思いをはせながら稽古に励んでいる。そして、稽古をしながら思うのは、仕舞はなぜ持続できたのかということである。
しかし、簡単には見つからない。だからこそ私は考え続けたい。現場に当てはめるならば探究と同じではないか。探究は高校の現場でも話題となる1つであるが、思うように展開できていない学校もあると聞く。探究を経験したことがない教員もおり、これまでの解答主義とは異なるスタイルであることも理由の一つであろう。探究にも「答えがない」。
探究の姿勢で考え続ける
仕舞のタイトルに「キリ」と記されているものがある。「キリ」とは終わりのことだが、学びには「キリがない」。エンドレスというより、スパイラルのように学びは循環している。
未来について考えることは、教育においても重要なテーマである。これまでのフレームでは対応しきれない課題に直面し、持続可能性についての問いが浮かび上がるが、その不確実性が未来を面白くする。学校は知識を得る場だけでなく、考えや思いを深める場であり、教員はその学びを支える重要な役割を担っている。
仕舞の稽古を通じて感じる持続可能性の問いと同様に、探究の姿勢で未来の教育や学校について考え続けたい。未来は不透明だが、だからこそ向き合い、学び続けることで新たな発見や成長の機会を見いだせるのではないか。
学びは終わることのないスパイラルであり、その循環の中で教育や学校の未来について味わいながら深めていくこともできる。これからも楽しみながら考え続けていきたい。