文部科学相の諮問機関、中央教育審議会(中教審)が「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」の答申で打ち出した「個別最適な学び」「協働的な学び」。その実相に迫る天笠茂・千葉大学名誉教授へのインタビュー連載の後編は、学校文化と今後の課題について語っていただきました。インタビュアーは、「未来の先生フォーラム」代表理事の宮田純也と寺子屋朝日編集長の片山健志です。

学校文化は変わるのか 平成と重なる令和の転換点

宮田:GIGA端末の配備など、学校現場は変わっているようにも思えますが、従来の仕組みにとらわれ、新しい学びに対応できていないという側面があるのではないでしょうか。今の学校現場について、どのように捉えていますか。

天笠さん:少し昔の話にさかのぼりましょうか。私はこれまでに文部科学省の中でいくつかの(審議会などの)委員を務めさせてもらいましたが、その一つに学校施設に関わるものがありました。学校の設備とか教材、教具、建築の専門家たちが集う委員会です。時期は昭和の終わりごろから平成の初めごろだったと思います。その時に議論していたのは「学習空間をどう成り立たせるか」というものでした。これに伴って各地で学校施設を見直す動きが出てきました。

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明治の頃に学校建築の基準が示されてから、廊下を教室の北と南のどちらに置くかなどの議論があり、基本的には全国どこでも似たような造りの学校が広がっていきました。それが、ようやく昭和の終わりごろに「オープンスペース」という考え方が生まれ、多目的スペースとか、廊下と教室の間仕切りを取り払うといった動きが出てきました。今も学校現場で見られますが、その多くは当時建てられたものだと思います。振り返ると面白い動きがあった時代だと思います。

天笠茂・千葉大学特任教授3回目につく
インタビューに答える天笠茂・千葉大学名誉教授

天笠さん:ただ、教室の空間を変えるというのは、教員の立場からすると必ずしも良いものではない場合があります。当時、例えば教室の壁を取り払うと、隣の教室の声が聞こえてうるさいとか、整然と並んだ机を乱すとやりにくいとか、そんな声も少なくありませんでした。しかし今、時代が変わる中で、「やはり学校の空間を変えていく必要があるのではないか」という議論が再び、今度は新しい世代の人たちも加えて、生まれています。

天笠 茂(あまがさ・しげる)
1950年、東京都生まれ。川崎市立小学校教諭、筑波大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学を経て、1982年千葉大学講師。97年より同大教授、2016年に同大特任教授。学校経営学、教育経営学、カリキュラム・マネジメント専攻。文部科学省の中央教育審議会初等中等教育分科会のメンバーとして、学習指導要領の改訂や令和の答申の議論に関わる。著書に「新教育課程を創る学校経営戦略 : カリキュラム・マネジメントの理論と実践」(2020年、ぎょうせい)や、「学校と専門家が協働する : カリキュラム開発への臨床的アプローチ」(2016年、第一法規)など多数。