多様で寛容な学校を目指し、教育実践に取り組む神奈川県の小学校教員、大和俊広先生の「#以上教育現場からでした」の後編です。「子どもの問題行動」を「問題提起」とみて教育活動を見直そうとの立場に立つ大和先生が、「取り出し学習」という手法への疑念も交えつつ、最も訴えたいこととは何でしょうか。

大和 俊広(やまと・としひろ)
多様で、寛容で、楽しい学校を目指す神奈川県立小学校教員。2児の父。「登校拒否」を考える交流会実行委員。全国「学校」の遊びとスキマ研究所所長。湘南教職員組合「学校をめぐる諸課題」推進委員。障害児を普通学校へ全国連絡会会員。学校マガジン「おそい はやい ひくい たかい」(ジャパンマシニスト社)、季刊福祉労働(現代書館)など多数寄稿。

どこかで、見たことことあるかもしれない日常 グループ決め(教職員組合レポートより、カッコ内の斜体字は子どもたちの心の声を想像したものです)

せんせー「では、修学旅行のグループ決めをやります。支援級のAちゃんもどこかのグループに入るからね。みんなで相談して下さい」
Bくん(え〜、どうしよ〜。おれら5人だから、ここに入れられるかも。誰かいいよって言わないかな。前も組み体操の時、一緒に組まされて、結構大変だったんだな……
Bくん「なあ、C、おれら仲いいの5人だけど、Dくんもグループに入ってもらおうぜ。それで6人になるし。誘うな。………Dく〜ん、おれらと同じグループになろ〜」
Dくん「ごめーん。他のグループに入るって約束しちゃってて〜」

せんせー「……じゃあ、Bくんとこのグループ、Aちゃんも一緒でいいかな。ちょうど組み体操のときも一緒だったから、Aちゃんも喜ぶと思うわ」
せんせー「……ん、……嫌なの?……なにか、理由ある?」
Bくん「なんか、正直いうと……、Aくん、組み体の時もあんまり言うこと聞いてくれなかったし、すぐ怒るし、よく分からないっていうか、ボクたちと合わないような気がします……」
せんせー「そうか・・・、他に一緒にって、グループは!?」
子どもたち「(先生と目が合わない)…………(沈黙)」
せんせー「…………ないんだね…………。なあ、みんな、Aちゃん、これを聞いて、どんな気持ちになると思う? 自分がAちゃんの立場だったらどう思う?(怒)」
Bくん(そりゃあ、かわいそうだけどさあ……、どうしよっかな、やばいなあ。Aちゃん、よく分かんないんだよね、何を考えてるか……、勝手なこと言っても、なんか注意しづらいし……。普段は給食しか来ないし
Eさん「せんせー……あ、でも……やっぱり……いいです」(……かわいそうだけど、仕方がないなって思う。Aちゃん障害があって、なかなか話も通じないっていうか、コミュニケーション取りづらいし……。先生だってこの間、脳性まひのYさんが講師で来たとき、よだれ垂らしたり、話が聞き取り辛かったりして、どうしたらいいか分からない、自分から話しかけられないって感じだったよね。それと同じだと思う。支援級でグループ作った方がAちゃんもうれしいんじゃないかな。言えないけど……
Fさん「せんせー、私たちのグループ、1人増えてもいいなら……入れてもいいですよ」(Aちゃんかわいそうだし、でも、かわいそうとか言ったら怒られそう……
 
(以下はボクの感想)
部落差別、朝鮮人差別、障害者差別、ハンセン病患者差別、黒人差別、ユダヤ人差別……。差別の多くが「分ける」ことから始まることは、歴史が見事なまでに証明している。どうしてそこから学ぶことをしないのだろう?と思う。
ボクは、Aちゃんが交流ではなく、同じクラスにずっといて、生活をともにしていたならば、Aちゃんを含めた子どもたちどうし、子どもと先生の「関係性」ももっと深まり、今よりも能力主義的でない、多様で寛容なクラスになっていたのではと思う。クラスを「社会」に置き換えても同じ。

3.問われるべきは構造

先の調査結果のように、「発達障害の可能性の子」が増えた、もしくはそう感じる教員が増えた、「不登校」の子どもが増えたなら、その状況に至る構造こそ問われるべきである。

学校は子どもたちの「生活の場」(前編) #以上教育現場からでした

学校現場は確実に忙しくなっている。支援学校や支援級増、少子化にも関わらず不登校増という学校現場の現実は、英語、道徳、プログラミング、キャリア、ICT(情報通信技術)教育などの能力主義的施策による通常級の多忙化と不寛容の結果である。