原爆被害を受けた被爆者の方々による平和学習の特別授業があると聞き、東京都台東区立金曽木小学校を訪ねた。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)にノーベル平和賞が贈られることが決まってまもない2024年10月のことだ。以前に小欄で触れたが、筆者は母親が広島で原爆を体験した被曝2世であり、平和学習がいまどんなふうに行われているのかこの目で確かめたかった。
子どもたち自身が朗読する「参加型」も
学習は体育館で行われ、5、6年生約40人が体験した。前半は、2歳の時に広島で被爆し、白血病のため12歳で亡くなった佐々木禎子さんの生涯を写真のスライドとともにまとめた物語「サダコの4675日」を子どもたち自身が朗読した。病気が治ると信じて千羽鶴を折り続けた同世代の実際のエピソードを事前に学び、練習を積んだという。原爆被害を自分ごととしてとらえる参加型の学習と言える。
講師として同校に招かれたのは、東京都江戸川区内の被爆者でつくる「親江会」(しんこうかい)会長の山本宏さん(87)と、事務局長の高比良毅さん(87)の2人。冒頭であいさつに立った後、前半は体育館の一角で子どもたちの学びの成果に耳を傾けていた。
後半では、2人の講師が体験談を披露した。8歳の時、長崎市の爆心地から3.7キロの地点で被爆した高比良さんは、その瞬間の様子を「パン、という音とともにあたり一面が真っ白になりました。真っ白い大きなボールの中にいるようだった」と表現した。「パン」の擬音語のところで急に声のトーンもボリュームも上がり、リアリティーをもって伝わってくる。
逃げ込んだ防空壕には、近所の14歳のおねえさんが入ってきた。頭にはガラスの破片が刺さったままだった。