中央教育審議会(中教審)の答申「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」についての考察を論文にした守屋淳・北海道大学大学院教育学研究院教授へのインタビューの後編は、「個別最適な学び」への奇妙さを感じた理由を中心に語っていただきました。そこには「学び」の本質をどうみるかという問題が横たわっています。聞き手は、寺子屋朝日編集長の片山健志と、日本最大級の教育イベント「未来の先生フォーラム」代表理事の宮田純也です。
「最適な学び」とは何か
片山:「個別最適な学び」について、もう少し詳しく教えてください。守屋教授が違和感を覚えた点とは、どんなところでしょうか。
守屋さん:学びというのは、始める前にはわからないことだから学びになる。想定していなかったことと出会うからおもしろいと思い、夢中になって、もっと学びくなるのではないでしょうか。「最適」という言葉を使っているということは、もう学ぶべき内容は決まっていて、これを学ぶためにどういう方法が最も適していますか、と言っているわけです。
そういう教育自体が、学びを貧しくしてしまうと思います。それは、文科省が言う「主体的な学び」をどう考えるかということにもつながります。主体的というのを、「本人が自分で選択すること」というニュアンスで文科省も考えているようですが、私が「主体的な学び」という言葉でイメージしていたのは、「夢中になって学ぶこと」です。