戦後78年を迎えたこの夏、「ヒロシマの原爆」と題する展示が「川崎市平和館」(川崎市中原区)で開かれていると知り、見に行った。筆者は母親が広島で被爆した被爆2世で、広島に通算8年住んだ経験があるが、広島以外の地でこうした展示を目にする機会は、実は多くない。聞けば、川崎市平和館では毎夏、広島、長崎の原爆投下か沖縄戦のいずれかを取り上げる展示を続けているという。

今回メインに位置づけられているのは、被爆者の証言をもとに高校生が描いた絵画作品「原爆の絵」だ。被爆の実相を後世に残そうと、広島平和記念資料館と広島市立基町高校が協力し、同校創造表現コースの生徒たちが被爆者の記憶に残る光景を聞き取って絵画に表現している。2007年度から毎年続く取り組みで、これまでに191点が完成した。川崎市平和館では今回、このうち20点のレプリカを展示している。

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川崎市平和館で開かれている「ヒロシマの原爆」=川崎市中原区

「東練兵場からみた巨大な火炎」という作品は、キャンバスの上側3分の2ほどを炎が占めている。原爆投下後に発生した赤黒い雲のようなかたまりがぼこぼことわき上がり、こちらに迫ってくるようだ。多くの人が爆風で吹き飛ばされる中、起き上がった証言者の小さな背中が、火炎の巨大さをいっそう際立たせる。

被爆直後に出会った人物に焦点を当てた作品がやはり多い。「死んだわが子を背負う若いお母さん」という作品は、すり切れた衣類に身を包み、顔にも頭にも血がにじんだ母親のうつろな表情が印象的だ。一方、「忘れられない~あの目」という作品は、倒れた塀に腰を挟まれて抜け出せなくなり、助けを求める女性が、懇願するような視線を向けながら証言者の男性の足を右手でつかんでいる。

「どんな表情に」何度も描きかえ

絵の解説の中で、証言者は、その手を振りはらってしまったこととともに「見知らぬ被災者を置き去りにしたことは、今でも呵責(かしゃく)の念にさいなまれ」るとコメントしている。さらに、「その女性の感情がどんな表情にすれば表現できるのかを何度も描きかえ、悩みました」とする生徒のコメントも紹介した。

「人間襤褸(らんる)の群れの中に」は、証言者が避難する道中で出会った被爆者の大行列を描いた。両手を前にだらりと差し出し、皮膚(ひふ)がボロ布のように垂れ下がったまま水を求めてうめき声を上げる人々、飛び出した左目の眼球を左手に持って歩く青年。重傷を負いながら乳飲み子を守ろうと必死で抱きしめる女性や、道ばたで絶命しているように見える人もいる。そんな人たちの傍らに、銃剣を杖のように支えにして避難していく兵士の姿もある。市民を助ける義務も忘れて逃れていく様子に、「日本は負けた」と証言者は思ったという。

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広島の高校生が被爆者の記憶に残る光景を聞き取って描いた「原爆の絵」

制作にはそれぞれ、約10カ月の期間をかける。生徒は証言を聞き取った後、証言者が描いたイメージ図を頼りにしたり、資料写真がないか探したりしながら構図を練り、証言者が見た光景を再現していく。制作中、証言者に何度も確認してもらいながら仕上げるという。

完成した作品はさまざまな方法で全国に貸し出ししており、コンパクトなA3サイズの複製画もあるが、川崎市平和館はできるだけ実物に近いものを紹介したいと考え、画像データの提供を受けて原寸大のレプリカにした。

「記憶をもとにしているので、写真では切り取れないような場面が表現されています」と川崎市平和館の北村憲司館長は言う。確かに、生々しくて直視することもためらわれたり、あまりに一瞬のできごとだったりして、写真としてはまず残っていないだろう場面がほとんどだ。原爆投下の直後、空に青白い閃光(せんこう)が走り、空一面が蛍光灯になったような瞬間を描いた「不気味な閃光」などは最たるものだろう。

体験を証言した被爆者が語り部として活動する際、作品を傍らに置いて語ることもあるという。時代背景が様変わりし、被爆当時の様子をイメージしにくいかもしれない今の修学旅行生に体験を伝える際も、「原爆の絵」は間違いなく手助けになるはずだ。

「絵を描くとはこういうことか」

もう一つ紹介したい作品がある。「神社の石段に押し寄せる人々とそれを治療する兵士」はそのタイトルの通り、大けがを負って神社に集まってきた人々が主役である。腹や背中が裂けて傷口があらわになった姿は、あまりに痛々しい。治療とはいえ薬もなく、兵士が油のようなものを塗っている場面だ。

解説の中で、制作した生徒はコメントする。「傷口や肉、血管を描いていると、その痛みがこちらにも感じられて、絵を描くとはこういうことかと感じたことがありました」「人の意識の中の光景を具体化するという経験がなかったので、とてもつらく、苦しい日々でした」

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原爆投下直後の広島を撮影した写真パネルもある

「原爆の絵」の制作過程そのものが、被爆という戦争体験の継承になっていたのだと思い知らされた。展示を目にした私たちはそこから何を学び、どう行動するべきか。先生も、子どもも、もちろん私も含め、戦争を知らない世代の責任が問われる。

「ヒロシマの原爆」ではこのほか、反戦のシンボルとして知られるピカソの「ゲルニカ」にならい、同じサイズの巨大なキャンバスに子どもたちが平和のメッセージを表現した「キッズゲルニカ」と呼ばれる作品や、被爆直後の広島の市街地をとらえた約40点の写真パネル、被爆した中学生の学生服なども展示されている。入場無料、8月27日まで。