学生時代は教員だった父に反発し、企業に勤めようと考えていた。

だが就職活動には力が入らず、安定を求めるように教員免許を取得。

大学卒業後、中途半端な気持ちで教員採用試験を受験したが、結果は不合格だった。

「ちゃらんぽらんでしたから。あの時、受からなくて良かったのかも知れません」

社会に出て1年目は、京都府立高校の非常勤講師となった。

夏ごろには産休を取得した教員の代わりとして常勤講師に。校務分掌にも携わり、生徒指導に関わるなかで生徒の抱える事情や背景を知り、成長ぶりに心躍らされた。

いつのまにか、教員になることだけを考えていた。

増田恒(ますだ・ひさし)
1962年生まれ。京都府公立高等学校長会会長。1987年に京都府立峰山高校に国語科教員として着任。莵道高校、洛北高校で勤務し、2012年に鴨沂高校定時制課程の主席副校長。山城高校副校長を経て、17年に朱雀高校長。20年から桃山高校長に就任。教員だった父も桃山高校長を経験しており、本人は「最初に異動を聞いた時は『親父が働いた高校か』と、少し抵抗感があった」と笑う。

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