「ある時は文書整理に必死な事務系、ある時は勝利を目指して部活の監督、ある時は床のワックス掛けの名人……」。20数年前、教育系雑誌に寄せた一文に、こんな自己紹介を添えた。
教員は学校で様々な役割を演じることを求められる。「裏を返せば色々なことに挑戦することができる。こんなに面白い仕事はほかにない」と、井坂秀一・柏陽高校長は語る。

井坂秀一(いさか・しゅういち)
1960年生まれ。神奈川県立学校長会会長。県立高校の国語科教諭として勤務後、県立総合教育センター指導主事、県教育委員会高校教育課指導主事、主幹、課長代理を歴任。2010年に県立瀬谷西高校副校長、翌11年に同校校長。県立総合教育センター教育事業部長を経て16年春から県立柏陽高校長。数年に一度、20~30㌔やせるダイエット期がある。好きな言葉は、先輩から教わった「教育は、指導力より人間力」。県立学校長会議・議長。第11期中央教育審議会委員。

東京都内の大学を卒業後、民間企業に就職。教育機関を回り、教育情報や広告などに関わる営業マンになった。
「会社員としては本当に短い期間しか働かなかったけれど、営業成績は良かったんですよ」と、照れるように振り返る。ただ、漠然と選んだ仕事に熱意は続かなかったという。

「働き始めてから、やっぱり教員って良いなって。正直に言うと子どもの頃から『子どもたちと一緒に夕日に向かって走る』みたいなテレビドラマの熱血教師に憧れていたんです」。
入社から1年も経たず、高校の国語教員として再スタートを切った。
「教員になった時は、全国に何万人といる国語の先生としての実力は最下位だったと思います。そんな自分に教えられる生徒がかわいそうだと思い、必死で勉強しました」
多様な本や雑誌、出版社の書評PRも読み込み、好きだった推理小説や時代小説までも教材に見えてくるまで教材研究に励んだ。

空回りした若手時代