コロナ禍が始まって全国の学校が臨時休校となり、かつて経験したことのないような対応を迫られる中、ICT(情報通信技術)を活用した学習や校外との交流に果敢に挑んできた特別支援学校の先生が埼玉県にいます。この間、防災学習の面でも積極的な取り組みを重ねてきた県立日高特別支援学校教諭の斎藤朝子(ともこ)さんです。コロナ禍に見舞われた2年半、どんな思いで子どもたちと向き合い、学校づくりにあたってきたのでしょうか。

斎藤朝子(さいとう・ともこ)
1973年、埼玉県大宮市(現さいたま市)生まれ。埼玉大教育学部卒、96年4月に埼玉県立宮代養護学校(当時)の教員となり、県立川島ひばりヶ丘特別支援学校、県立日高特別支援学校と27年間、肢体不自由特別支援学校で勤務。現在は小学部主事。また防災アドバイザーとして特別支援教育の分野における防災全般に精力的に取り組む。一般社団法人福祉防災コミュニティ協会認定コーチ、防災士、埼玉県イツモ防災インストラクター、さすけなぶるファシリテーター、防災教育コーディネーター、公認心理師。

「コロナ禍」と呼ばれるようになって3年目となりました。2020年2月末、全国で学校が一斉休校となる中、埼玉県の特別支援学校は年度末まで通常指導が行われました。しかし、4月に緊急事態宣言が発令されると、本校も臨時休校になりました。私は4月に小学部主事になったばかりで、これまでの学校運営とは異なり、何もかも初めての対応に追われました。

本校は肢体不自由の児童生徒が通う特別支援学校です。基礎疾患を有する児童生徒が多いため、他の特別支援学校よりも感染症対策を徹底しなくてはなりません。一日のうちに対応が変わることもあり、黒板からホワイトボードに変えたばかりの学部の掲示板は何度も書き換えながら情報共有のために活用されました。自分自身が学校防災に関わっていることもあり、全国の防災仲間からのアドバイスでホワイトボードの記録を写真に残しておいたことは、後に振り返る際にとても役に立ちました。

まさに災害下のよう

休校中に児童生徒向けの動画を作成し、遊び場としてグラウンドを開放し、心のケアに対応する。その都度関係部署と調整し、方法を考えた日々はまさに災害下のようでした。友人や先生と学んだり、外出して様々な経験をしたりできないことがこんなにも子どもたちの心を不安定にしてしまうと痛感しました。普段の生活を送るために何を大切にすればいいかを念頭に、それらの課題を乗り越えていきました。厚生労働省、文部科学省の通達に何度も目を通し、専門家による感染症対策の学習会で科学的根拠を学んで職場で共有しました。