西村 祐二(にしむら・ゆうじ) 2016年8月から「斉藤ひでみ」名で教育現場の問題を訴え続け、国会や文部科学省への署名提出、国会での参考人陳述などを行う。共著に「教師のブラック残業」(学陽書房)、「迷走する教員の働き方改革」「#教師のバトン とはなんだったのか」(いずれも岩波ブックレット)、「校則改革」(東洋館出版社)がある。ドキュメンタリー「聖職のゆくえ」(福井テレビ)にも出演。
2019年、私は給特法と呼ばれる公立教員特有の法律の問題について顔と実名を出して訴え、国会での院内集会や参考人陳述などを行った。その報道を見た生徒が、「先生の訴えていることは間違っていないと思う」と私に話しかけてきた。生徒がやけに深刻そうな顔をしていたため、放課後じっくり話を聞くことにした。
本当に「子どものため」になってる?
「中学生のときの担任が若い先生だったのですが、4月にはいきいきとして、とても丁寧に僕たちの話を聞いてくれました。それが1年も経たないうちに相談してもあまり時間を取ってもらえなくなって。僕はその先生が大好きだったから、みるみるうちに変わっていくことがつらくてたまらなかったんです」。生徒は、せき止めていた思いを吐き出すように明かしてくれた。「子どものため」と、文句も言わず献身的努力を続けてきた私たち教師の働き方は、本当に「子どものため」になっていたのだろうか。改めて考えさせられたエピソードだった。
給特法…正式名称は「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」。1971年に制定された法律である。教員の職務と勤務態様の特殊性(給特法第1条)を理由に、原則として教員には残業を命じない・残業代を支払わない代わりに給料月額4%を支給すると定めた。この法律のもとでは、現に発生している教員の残業は「超勤4項目(生徒実習、学校行事、職員会議、非常災害等)」を除き「自発的勤務」であるとして、労基法上の労働には当たらないという見解が示されている。
教師の長時間労働が議論されるようになって久しい。国は19年の臨時国会で給特法の一部を改正し、「在校等時間」に月45時間、年360時間の残業上限を設けた。しかしこれは罰則を伴わない上限設定であったため、現場では「努力目標」程度の扱いとなっており、これによって教員の勤務の形態が改善したとは言い難い。それどころか、コロナ禍でもあるこの2年間の学校の「多忙感」は、以前にも増して大きくなっているのが実情である。
若者の教職離れも加速しているようで、教員採用試験の倍率は年々下がる一方だ。教員志望学生からは、今の教師の働き方について不安の声が聞かれる。
「自分の生活を犠牲に出来ないと成り立たない」
「高校に3週間の教育実習に行ってみて、とにかく教員になるのが恐ろしくなりました」
「教員の本務である授業準備・授業以外の業務が多すぎると思います。とりわけ部活動顧問は手当が見合ったものではなく、ボランティア活動といっても過言ではない」
「働き方改革は果たして形ではなく本当に教員のために行われているのか。そんなことばかり日々のニュースで見ます」
こうした問題を改めるために、私たち現場の教師に何ができるだろうか。頭を抱えそうな問いだが、実はそんなに難しいことではない。教師がこれから行うべき重要なことはたった一つだと私は考えている。今後の活動の展望を含め、以下に私の考えを示そうと思う。