ひきこもりの方々や家族の相談に乗ったり、就労につなげたりする支援者向けの研修会が12月、東京都内で開かれ、取材の機会をいただいた。当事者、支援者それぞれの思いに触れ、支援することの意味を考えさせられた。
主催は、不登校やひきこもり、発達障害、性的マイノリティーなどの当事者・経験者らが2014年に立ち上げた「一般社団法人ひきこもりUX会議」。UXはユニークエクスペリエンス(固有の体験)の略で、一人ひとりの生きづらさや葛藤のすべてをUXととらえ、それらを発信、共有することで自分の人生を自分でデザインできるような社会づくりを進める。2日にわたった研修会には、各地の社会福祉協議会職員や民間支援団体の関係者ら約35人が参加した。
14歳~26歳の間、ひきこもり状態だったという神奈川県在住のとしさん(男性、30代後半)が体験談を披露した。きっかけは中学生の時の同級生グループによるいじめだった。先生もいじめ加害グループの味方をして、「お前、ナイフを振り回したんだろ」と加害グループのうそを信じた。だれも助けてくれない学校空間で、だれの言葉も信じられなくなった。
「大丈夫だから」と先生に誘われて参加した修学旅行では、同級生10人ほどに暴力を受け、行かなければよかったという思いが今も残る。何とか高校には進んだが、すぐに退学後はほぼ完全にひきこもり生活になったという。
同級生に窓からのぞかれるのが怖くて昼間もカーテンを閉め、夜はゲームをして過ごした。「紅白歌合戦を見た1週間後に、次の紅白をやっているような感覚」で、ただただ空白の時間が過ぎた。「この先どうするの」。家族の言葉と外からの情報に焦りが募った。
23歳の時、好きなゲーム音楽のコンサートが開かれることをネットで知り、行ってみようと思った。そのコンサートが最初の「居場所」になったのだという。
実家を離れ、一人暮らししながら介護の仕事をこなした。夜勤明けに日勤をするなど空白を埋めるように働き、同僚らに厳しい言葉を浴びせられた結果、精神疾患を発症。そんな中で出合ったのが、ひきこもり当事者どうしが語り合う当事者会の活動だ。「こうなったのは世界で1人じゃない」「重荷を分け合っていいんだ」という気持ちになり、そのつながりが今も続いている。
ひきこもっていた間、公的支援は受けなかった。コンサートも、当事者会の活動も、としさん自身が動いたことでつかんだ手がかりだ。とすると、支援に何の意味があったのだろう。ぼんやり考えていたら、プログラムは支援者どうしのワークショップに移った。
3、4人が向き合って話せるようにテーブルを並べ直した支援者たちは、「ひきこもり支援のゴール」の答えを、グループごとに付箋(ふせん)に書き出し、発表し合う。「ひきこもりから脱する」「(当事者が)やりたいと思うことがある」「就労が定着した」「本人に支援を求められなくなった」。付箋を出しきったら、似ているものを模造紙の上でまとめながら話し合う。「ゴールは支援者が決めることじゃないと思う」「今の支援って、本人が置いてけぼりかも、ですね」
続いて、今度は「ひきこもりのゴール」の答えを同じように付箋に書き出す。「当事者が安心できる場がある」「自分はこれでいいと思える」「自分のトリセツができる」「ゴールはなく、納得する感じ」などなど。支援のゴールとは異なるものも、重なるものもある。
自由に過ごせる居場所を提供するなど、ひきこもり支援の窓口への相談者は、当事者の親であることが多い。当事者自身はひきこもっているのだから当然だが、支援者にしてみれば直接会って話をする機会は少なく、当事者の視点を持ちにくい。その結果、支援のありようは必ずしも当事者が望むものと合わない状態がずっと続いてきた、とひきこもりUX会議代表理事の林恭子さんは言う。
ひきこもりが社会問題となって20年以上になる。行政などの支援を利用せず社会と関わるようになった人が少なくない一方、積み重なった課題をひとりで解決するにはハードルはあまりに高い。伴走者の力はやはり必要――というのが林さんの見解だ。「せっかくの支援なのだから、当事者のニーズに合ったものにしていきたい」。研修会はそのための一歩というわけだ。
国の定義では、ひきこもりに該当する人は約110万人とされる。その後ろには、2021年度に24万人と過去最多になった不登校の小中学生がいる。不登校もひきこもりも生み出すまいという理想を見据えつつ、同時に今、学校や社会から距離を置いて暮らす彼ら、彼女らが何を望むのか、耳を傾けたい。