今年2月から始まった、ロシアによるウクライナ侵攻。いまだ収束の兆しが見えない中で、私たちはいま何を考えるべきなのでしょうか。日本近代史が専門で、日露戦争を研究している学習院大学文学部史学科の千葉功教授は「日本人が戦争について考えようとすると、つい今の時代の感覚や思い込みで物事を判断してしまいがちです」と指摘します。千葉教授のゼミでは、しっかりとした卒業論文を書き上げるために、学生たちが日々膨大な史料と格闘しながら研究を続けているといいます。「ゼミで学んだことは社会に出てからも役に立つ」と話す小谷啓人さん(3年)と鈴木千那さん(3年)に、二人が敬愛する千葉先生を交えてお話を聞きました。
【テーマ】 日本近代史
「史料を読めば、必ず何かしら新しい発見があるものです」と話す、千葉教授。
大学院時代に日露戦争の開戦外交についての研究をスタートさせ、2010年に開戦当時の総理大臣・桂太郎に宛てられた書翰(しょかん)928通を翻刻、編集した「桂太郎関係文書」(東京大学出版会)、2011年に桂太郎が発した書翰を翻刻、編集した「桂太郎発書翰集」(同)、2012年に桂太郎の伝記的な研究をまとめた「桂太郎―外に帝国主義、内に立憲主義」(中公新書)を立て続けに刊行し、さまざまな角度から桂太郎という人物に光を当てた。
現在のウクライナ情勢については、「現代の我々日本人の感覚で見てしまうと、正しく理解できない。まずは関連する情報(資料)を集め、虚心坦懐に読み解くことが大切」と見る。
■研究テーマが無限に広がる史学の世界
ーー史学とはどのような学問ですか?
千葉 高校までの歴史の授業との大きな違いは、学生が自発的に自分の興味関心のあるテーマについての史料を探し出し、それを読み解くことで、その人のオリジナルな発見をしていけるという点です。
例えば小谷さんは西原亀三という人物を、鈴木さんは文化財の保護をテーマに研究していますが、何をテーマとするかは100人いたら100通りで、戦後の道徳教育がテーマの学生もいれば、大正期における服飾がテーマの学生もいます。
私たちが生きていく上で触れるあらゆるものには歴史がありますから、身近なことから歴史上の出来事まで、どんなものでも研究の対象になり得る。これは、史学ならではのおもしろさだと言えます。
ーー学生のみなさんは、入学当初から研究したい明確なテーマを持っているものなのでしょうか。
千葉 史学科を志すくらいなので、歴史好きな学生は多いです。もちろん、入学した時点で「あの時代のこれを勉強したい」と強い希望を持っているのは素晴らしいことですけれども、必ずしもそうである必要はありません。
個人的には、歴史以外のいろんなジャンルに興味を持っていてくれた方がうれしいですね。というのも、歴史は総合学問であり、どこで何が繋がるかわからないからです。
学習院大学の史学科では、4年生でしっかりとした卒業論文を完成させることを目標に、1年生は基礎演習や講義を通じてレジュメの作り方から、日本史、東洋史、西洋史まで幅広く学び、2年生になるときに自分の研究の対象となる国や地域、時代に合わせて、希望のゼミを選ぶことになります。
大学では、高校までの教育では触れたことのない学問分野がいっぱいあります。歴史だけでなく、人文系や理系の科目なども履修してみて、だんだん自分のやりたいテーマを絞っていくのがおすすめです。
ーー研究はどのように進めていくものなのですか?
千葉 研究とは、できるだけ多くの史料を読み解いて、そのデータを突き合わせながら自分なりに蓋然性の高い像を組み立てていくものなので、膨大な量の史料と向き合うことになります。
古代より多くの文献が残されていますが、中でも私の専門である日本近代史は時代が近いぶん、1万回生まれ変わってもすべては読み切れないほどの史料があります。ですから、時には簿冊を作った当の官僚以外誰も触ってないような埃まみれの史料に出合うこともあるわけでして、自分が最初の読み手なのではと思いながら読み進めるのは非常に楽しい作業です。
ーー千葉教授が歴史に興味を持ったきっかけは。
千葉 何か決定的な出合いがあったわけではなくて、家の中に転がっていた司馬遼太郎の歴史小説や、中公文庫の「日本の歴史」などを読んでいるうちに、なんとなく……という感じでした。
大学院生の頃に日露戦争の開戦外交の研究を始めて、その後、当時の総理大臣の桂太郎の伝記的な研究もするようになり、近年では友人たちと第一次世界大戦中の総理大臣・寺内正毅に宛てられた書翰群を翻刻するプロジェクトを進めています。
長年歴史を研究してきた癖で、何事も歴史的な経緯を踏まえて現在を見るようになったのは、歴史学を学んでよかったことの一つですね。
ーー歴史学者として、現在のロシアとウクライナの状況をどう見ていますか?
千葉 私の専門は世界史ではないとはいえ、日本史が専門の身としても考えさせられるところがあります。ウクライナは東と西で歴史が異なる国で、東側は帝政ロシアに早くから占領され、ウクライナ語も禁止されてきた。一方で、西側はオーストリア=ハンガリー帝国に支配され、ウクライナ語は禁止されてこなかった。そういった歴史や、第一次世界大戦、第二次世界大戦を経て徐々に変わってきた国際法なども踏まえて考えないと、今回の戦争を正しく理解することはできません。
我々現代の日本人が戦争について考えようとすると、つい今の時代の感覚や思い込みで物事を判断してしまいがちですが、そうではなく、まずは関連資料を集めてきて虚心坦懐に読んで、事実が矛盾することがあればその中でも一番蓋然性の高い像を自分で組み立てていくことが重要です。それが、戦争という過ちを繰り返さないためにも必要なことではないでしょうか。
今回の戦争ではフェイクニュースも多く飛び交っていますよね。情報を正しく見分けるためにも、ぜひ史学科での学びを通してデータを読み解く力や心構えを身につけてほしいと願っています。
■「日本の歴史も外国の歴史として見る」という心構え
ーー千葉教授のゼミ「日本史演習」の内容について教えてください。
千葉 2、3年生が一緒に学ぶゼミと、4年生だけのゼミとで別れているのですが、2年生はまず最初に1、2回テキストを読むことから始めます。その後は各自それぞれの研究テーマを深めてもらい、自由発表の際に私や他の学生がコメントするような形です。
最近は、アジア歴史資料センターや国立公文書館のデジタルアーカイブで相当な量の簿冊が見られますから、ゼミ生はそれらも上手に活用しています。
ーー小谷さんと鈴木さんの研究テーマについて教えてください。
小谷 昭和初期における西原亀三の動きについて研究しています。自分はNHKで放送されたドラマ「坂の上の雲」がとても好きで、ドラマをきっかけに日露戦争の広報外交に興味を持ちました。それで先生のゼミに入ったのですが、ご存知の通り、先生の専門はまさに日露戦争。僕が初めて作ったレジュメは、ケチョンケチョンにやられてしまいました。
次の発表はどうしたものかと頭を抱えながらアジア歴史資料センターのデジタルアーカイブを見ていたら、たまたま西原亀三の書類が目につきました。高校の教科書では「西原借款」のくだりで数行しか出てこない人物ですが、史料を見ていくと実は政界の裏でかなりの暗躍をしていた。権力に執着しているようでいて、無償で地元の農村を救済するような一面も持ち合わせているその人間性にひかれました。
史料はかなり豊富にあるものの、体系的な研究はまだほとんどなされていないところにもワクワクしました。微力ではありますけれども、自分が初めて日本の歴史学において西原亀三に焦点を当てる。これは、自分が学習院大学の学生として4年間勉強した証になると思いました。
鈴木 私の研究テーマは、日本近現代における文化財の保護の動向についてです。ちょうどゼミを決める時期に首里城(沖縄県那覇市)が全焼したこともあって、特に城郭の保護に範囲を絞って研究しています。1年生のときにさまざまな分野の講義を受けて視野が広がったおかげで、自分が一番関心のあるテーマを選べたと思います。
江戸時代が終わり、城主がいなくなった城郭はどのように保護されてきたのか。これに関する研究をしている人も、史料も少ないのですが、でもだからこそ、手探りで自分なりに論文を組み立てていくおもしろさがあります。彦根城(滋賀県彦根市)はじめ、城郭は現存しているものもありますから、デジタルアーカイブで検索をかけて実地調査も行う予定です。
ーー近現代とはいえ、史料の中には読み解くのが難しいものもあると思うのですが。
鈴木 当然、自分でなんとかしようと努力はしますが、くずし字のような、どうにも読めないものがあるときは先生のお力をお借りします。どんな史料でも頭から最後までスラスラッと読める千葉先生は、本当にすごい。知識の引き出しが半端じゃないです。
小谷 1年生のうちから基礎演習でも読み解く技術は学びますが、なかなか難しいんですよね。
千葉 教員は学生の良き伴走者でありたいと思っていますから、困ったことがあればいつでも声をかけてください。文学部は学科の閲覧室(自習スペース)のすぐ近くに教員の部屋があるので、気軽に質問しやすい環境だと思います。
小谷 千葉先生の口癖は、「30秒だけ喋らせて」。ゼミの授業中に補足としてお話をしてくださることがあるのですが、どれも講義レベルの話で、一言たりとも聞き逃せません。
ちなみに、30秒のときは大体5分、「5分だけ喋らせて」のときは20分くらいお話が続きます。知識の量が並外れた先生なので、ポロッと話されたことが自分の研究につながることも多いんです。
ーー史料のデジタル化が進んだことで、研究をする上で何か変化はありましたか?
千葉 365日どこからでも史料にアクセスできるようになり、とても便利になりました。ゼミでも、デジタル史料を使って発表する人が増えましたね。ただ、検索すればピンポイントで目的の情報にたどり着けるようになったがために、その史料の位置づけや意味がわからないという事態も起こるようになりました。
簿冊を直接めくって書類を探す場合は前後があるので、その書類が草案で終わったのか、それとも一部内容を変えてその後決裁されたのか一目瞭然なんですけどね。そういった場合は、「この史料はどういう意味ですか?」と問いかけて、デジタル時代だからこその史料の扱い方をコメントするようにしています。
ーー歴史を学ぶ上で大切にすべきこと、心がけるべきことがあれば教えてください。
千葉 歴史学者の有馬学さんの言葉で、「戦前期の日本を見る際は、外国の歴史を見るように見ましょう」というものがあります。これはつまり、今の自分たちの価値観で日本の歴史を見ないように、と言っているのですが、特に近代は今の時代と近いこともあって、感覚を混同しがちです。
例えば、世界的には戦争の惨禍があまりにもひどかったために第一次世界大戦後に戦争は違法化され、先に手を出した方が悪いという認識に変わりました。けれども、日本は第一次世界大戦には本格的に参戦しなかったので、政府はともかく、日本国民は「戦争は良くない」という意識を実感として持てなかった。だから、アジア・太平洋戦争にもほとんどの日本人が協力したわけです。
同じ日本人でも、時代によって価値観は違う。日本の歴史も外国の歴史として見る。そういう心構えの方が、正確に物事を見られると思います。
■資料の読み解きから生まれるオリジナルの卒論
ーー学習院大学で3年間学んで、何か変化はありましたか?
鈴木 自発的に何かしら勉強する機会が本当に増えました。中高で習う歴史はやはり暗記のイメージが強かったのですが、大学で学ぶ歴史は全然違う。自分の興味関心に合わせてテーマを選んでいるから、研究がとても楽しいんです。
「論文を書く際は何かしらオリジナリティーを出してほしい」と、よく千葉先生もおっしゃるのですが、それが史学科の基本的なスタンス。そのために多くの史料を読み解くことは、全く苦になりません。
ーーオリジナリティーを出すとは、具体的にはどういうことでしょうか。
千葉 例えば、教科書や本などは出来上がった作品なので、それだけ読むと話が破綻してるなんてことはまずありえません。ですが、教科書や本の元のデータまで遡ると、実はそのデータの読み取り方が違っていた……なんてことも実は結構あるんです。
大学レベルの知識があって、しっかり卒論に取り組める学生であれば、同じ史料を見ても何かしら新しい側面が見出せるものです。ですから、「どんなに小さなことでもいいから、オリジナルな発見を目指しましょう」と日頃から声をかけています。
史学科は、熱心に卒論に取り組む学生が多いため、私たち教員も指導に熱が入ります。ST比(教員一人当たりの学生数)が低く、一人ひとりに目が行き届きやすいのも学習院ならではの良さですね。やる気のある学生はどんどん伸びていきます。
ーー小谷さんは、3年間で心境に変化はありましたか?
小谷 いま自分たちがゼミで学んでいることって、社会に出てからも役に立つことなんですよね。対象について情報収集を行い、論文やレジュメをもとにプレゼンして、相手を納得させる。大学で歴史を学ぶうちに、社会で必要な能力も鍛えられたと感じています。
千葉 史学科の卒業生は一般企業に就職する人がほとんどですが、社会に出てからも大学で学んだ手法は役立つようで、久しぶりにOB・OGに会っても、やはりしっかりとした卒論を書いた学生は社会に出てもうまく対応している印象です。確かに、同じ流れですもんね。業界の現状分析をして、それを踏まえてプロジェクトを立ち上げて、そのために相手を説得する報告書を書くというのは。
ーー学生のお二方から見た学習院大学の魅力を教えてください。
鈴木 常勤、非常勤関係なく、すべての教授、講師の方々が素晴らしいというのは、やはり一番伝えたいところです。学校の敷地内に緑が多く、癒やされるのも大きな魅力ではありますが。
小谷 自分も、先生方が本当に素晴らしいと思っています。昨年、非常勤講師の方が海軍と社会についての特殊講義をしてくださったのですが、その視点は新鮮でとても興味深いものでした。
もう一つ学習院大学ならではの魅力を挙げるなら、アーカイブズ学が充実している点でしょうか。アーカイブズとは史料保存のことで、欧米では会社に史料を保存する専門職「アーキビスト」がいるのも当たり前です。日本はその部分でかなり遅れているのですが。
千葉 近年、公文書の杜撰な管理は社会問題にもなりましたよね。アーカイブズ教育、アーキビストの養成は今後ますます注力すべき分野だと思うのですが、実は12年前、日本で初めて大学院にアーカイブズ学専攻を設置したのが学習院なんです。
私はアーカイブズ学専攻も兼担しております。また、史学科では、本来は大学院で学ぶ内容とはいえ、史料を扱う学生にはアーカイブズ学的知見は持っていてほしいという思いもあり、「アーカイブズ学概説」という科目を1年生の必修科目にしています。
さらに、今年からはアーカイブズ学の演習(ゼミ)もスタートしました。学部レベルでのアーカイブズ学のゼミは、日本で学習院大学にしかありません。
小谷 うちの大学では希望すれば2つ以上のゼミに所属することもできるので、自分はアーカイブズ学のゼミでも学んでいます。授業の一環で大学の地下にある膨大な量のアーカイブズを調査したら、誰も見たことのない史料が見つかったのは貴重な経験でした。学習院は歴史のある大学なので、まだまだ素晴らしい史料が眠っているはずです。
千葉先生もよくおっしゃっているように、日本近代史とアーカイブズ学は車の両輪。どちらも学ぶことで、相乗効果が生まれています。自分は、アーカイブズは歴史学と社会を繋ぐものだと考えているので、大学院へ進学してさらに学びを深めていきたいです。
ーー最後に、学習院大学文学部史学科への進学を希望している方へメッセージをお願いします。
鈴木 学習院大学は、学ぶための環境が整っている大学です。自分のやりたいことを突き詰めていけば必ず研究すべきテーマは見つかりますので、気負わずに史学科へ進学してみてください!
小谷 大学に入って好きなことを学ぶために、今は我慢してやりたくないことをやっているという人もいると思います。でも、やりたくないことでも、ちょっと我慢して続けてみたら意外とおもしろかった、なんてことが人生では度々起こります。
興味がないからと手を出さなければ、自分が本当にそれが好きかどうかもわからないまま終わってしまう。だから、とりあえずまずは何にでも挑戦してみる気持ちを持ってほしいですね。
千葉 高校では、先生という演奏家が奏でる音楽を鑑賞するような感覚で歴史の授業を受けていたかもしれません。ですが、大学における史学科では、皆さんは作曲する側に回ることになります。作曲の仕方についてはじっくり教えていきますので、ぜひ一緒に勉強しましょう。