あえて「過保護にしない」方針の意味
中村 新型コロナウイルス感染症による休校中は、どのように対応されたんですか。
今西 入学式の翌日から2カ月間の休校を経て、6月から対面授業を再開したところです(取材は7月)。休校期間中、当初は生徒全員の自宅に教材を郵送し、戻ってきたものを教員が添削して返すという、いわば通信教育方式でした。5月からは、全教員がオンライン授業を実施しました。
中村 オンライン授業は初めての取り組みだと思いますが、いかがでしたか。
今西 生徒の家庭のPC環境などに配慮し、オンデマンド方式を基本としました。苦手なところを重点的に視聴できると生徒には概ね好評でした。そういった点でも「個別最適化」のメリットはあると感じます。一方で、生徒の意欲によって理解度や進度に格差が広がってしまうというデメリットや、画面越しでは伝えきれない教員の思いもあります。対面授業と単純な置き換えがきくとは思いませんが、この経験は今後の教育に生かしたいですね。
中村 6月から通常の授業をしているとのことですが、ここ甲陽学院は中学と高校の敷地が離れています。中高一貫校では珍しい環境ですよね。
今西 戦後の学制改革により結果的にこうなったのですが、いまはこの環境がプラスに働いていると感じます。例えば、行事や部活、生徒会も別々なので、中学生でも組織のリーダーやキャプテンを務めます。中学生のうちは頼りなさも残っていますが、よい成長の機会になっているのを実感します。
中村 生活や学習の指導面でも、中学と高校の違いはありますか。
今西 その点はかなり意識的にメリハリをつけています。私たちは、中学生を「大きめの子ども」、高校生を「小さめの大人」として接します。例えば、中学では制服があり持ち物や通学路なども細かく指導しますが、高校は服装も頭髪もすべて自由。また、担任は6年間持ち上がりを原則としていますが、教員と生徒の接し方も次第に大人同士のそれに変わっていきます。中学生のときは「厳しい先生」と思われていても、高校生になると「あれ、意外に優しいんやな」と生徒の評価が変わることはよくあります(笑)。
中村 たしかに中1と高3では、成熟度はかなり違いますからね。高校ではあえて手をかけすぎないというのは興味深いですね。
今西 それは高校卒業時、「自立」「自律」をした青年であってほしいという願いからです。今回のコロナ禍やリーマンショックのように、今日の私たちは非常に不確実な社会で生きています。先の見えない時代を生き抜く力を鍛えるためにも、過保護であるべきではないと考えているのです。
在野の精神を育む「隠れたカリキュラム」
中村 近年の進路選択の傾向を教えてください。やはり医学部志向は強いですか。
今西 1学年約200人のうち、約150人は理系、約50人が文系志望です。理系の約4割は医学部進学を希望しています。
中村 昨今の成績上位層は、データサイエンス系学部に流れるといった動向も聞きますが。
今西 本校で医学部志望者が減っているということはないですが、甲陽の卒業生は昔から「在野の精神」を持った人が多いように思います。最近はベンチャー企業での活躍も目立ちますね。例えば、東大から外資系コンサルを経て、宇宙ゴミの除去を担う会社を起業し、いまやグローバルに事業を展開している卒業生がいます。また同じく東大からコンサル等を経て、男性向けの高級下着の会社の経営を引き受けた卒業生もいます。
中村 面白いですね。そういった気風は甲陽のどういった教育が影響していると思いますか。
今西 やはり教員の存在が大きいと思います。研究者肌といいますか、少々変わり者の先生が多いのです(笑)。そんな教員の考え方や生き様が、何げない雑談や日々のやり取りの中で、生徒に何らかの影響を与えているのかもしれません。「隠れたカリキュラム」という言葉もありますが、反骨精神というか、自分の腕と能力で生きていくんだといった風潮が、伝統的に息づいているのかもしれませんね。
「いい大学」より「いい大学生」を目指せ
中村 中高の6年間でどのような成長を期待しますか。
今西 自分の「物差し」を見つけてほしいですね。中高生にとって簡単なことではないでしょうが、世間の評価や「人と比べて自分は何番か」という相対的評価を鵜呑みにするのではなく、世の中のことに疑問を持ったり、自分がどうありたいかを立ち止まって考えたりしてほしい。そのために、友達や先生と触れ合い、無駄なこともたくさん経験し、視野を広げてほしいと思っています。
中村 これからの人生を自分の物差しで生きるための「ベース」を作るのが中高時代というわけですね。
今西 その通りです。ただ成績がいいからと難関中・高に入学し、また成績がいいからと難関大学に進学し……といういわゆる「競争的エリート」は、いずれ人生でつまずく時が来てしまうと思うんです。成績が良ければ選択肢が広がるとも言いますが、そもそも選択する「価値観」「物差し」がなければ意味がありませんから。
中村 なるほど。では、進路指導はどういう方針でされるのでしょう。
今西 生徒の希望が最優先で、教員があれこれ誘導することはありません。ただ私たちがよく言い聞かせるのは、「いい大学に行きなさい」ではなく、「いい大学生になりなさい」ということ。それは、常識を疑い、自ら問題を発見し、自分の頭で考えられる人のこと。そんな人を育てられる学校が真の進学校だと思っています。誤解を恐れずいえば、いまの大学入試制度に過度に適応した教育を行うのも危険だと思っています。
中村 甲陽学院を目指す受験生、保護者に望むことはありますか。
今西 平凡と思われるかもしれませんが、「自分のことは自分でやる」「困っている人に手を差し伸べられる」、そういう子に来てほしいなと思います。本学の教育目標「自立」の基礎であり、社会生活を送るうえでの基本となることだからです。保護者の方には、子育てのゴールがお子様の「巣立ち」であることを心に留めておいていただきたいと思います。
「百年の計」で人を育て続けたい
中村 甲陽学院は、同じ関西の灘とともに、名門の酒蔵が設立した学校としても知られていますね。
今西 本校の礎を築いた醸造家・辰馬吉左衛門による財団設立趣旨にはこんな言葉があります。「一年の計は穀を植うるにあり、十年の計は樹を植うるにあり、百年の計は人を植うるにあり」。人を育てる際は農業の視点を持つべきであり、工業の近代的な工程管理はそぐわない。長期的な視野に立って本物の教育を、との思いは、創立時から変わらずいまもベースになっています。
中村 「百年の計は人を植うるにあり」ですか、いい言葉ですね。
今西 甲陽学院は2017年に創立100年を迎えましたが、次の100年も続くかどうかは、多様性にかかっています。今後も時流に流されない自分たちらしい教育で、一人ひとりの生徒と向き合い大切に育てていきたいと思っています。
中村 本日は大変貴重なお話をありがとうございました。
甲陽学院中学校・高等学校
今西 昭 校長
いまにし・あきら/京都大学経済学部卒業。民間企業勤務を経て、1982年から母校である甲陽学院中学校・高等学校の公民科教諭に。2017年から現職。