現在、急激に変化する社会を生き抜く力を子どもに身につけさせるために、さまざまな教育改革が進められている。同時にその弊害も指摘されている。教育は本来、どうあるべきなのか。名門進学校の二人の校長に話を伺った。
変わり始めた日本の英語教育
髙宮 日本の国際競争力が低下するなか〝従来の教育では世界に勝てない〟と、抜本的な改革を求める議論があります。でも従来の教育にもよい部分はたくさんあり、稚拙な改革でそれが失われてしまうことを危惧しています。
平 教育の重要な役割として歴史や文学、芸術や科学など人類が長年、築きあげてきた知の財産を次世代へ受け継いでいくことがあります。これらは十年単位といった短いスパンで変わるものではありません。よって教育は本来、ある程度保守的であって当然だと思います。
髙宮 どんなに時代が変わっても知識の習得や計算練習を含め、各教科の基礎をしっかり勉強することは大事です。何より子どもたちを、教育改革の実験台にしてはいけないと思っています。
平 大学入学共通テストの理念や方向性はよいと思うのですが、現場を理解しないまま、やや改革を急ぎ過ぎている気がします。
野水 ただ民間試験導入をめぐる混乱によって、共通テストにおける英語の4技能評価の導入が見送られたことは残念でした。私は長年、国際交流に取り組んできたこともあり、韓国や中国、東南アジアの若者に比べて、日本の高校生の実践的な英語力が低いことを痛感していたからです。
髙宮 その反省から最近では中学高校の英語教育も、使える英語重視へと変わってきていますね。
平 麻布では20年ほど前からネイティブの発音を聞かせ、ネイティブの先生との会話を通して英語を学ぶ授業を行ってきました。最近は英語で自分の考えを主張し、相手に理解してもらえるスキルの習得に重点を置いています。
野水 私は3年前に母校の校長となり、英語の授業が進歩していることに驚きました。ネイティブの先生は専任が2人、非常勤が5人おり、日本人教員もみなさん流暢(りゅうちょう)な英語で授業を行っています。サマープログラムや英語漬けの日など、アクティビティ型の学びの場も増えています。
髙宮 最近は高校から直接、海外の大学を目指す生徒も増えているのではないでしょうか。
野水 今は保護者にも海外経験のある方が多いので、お子さんの進路として最初から海外の大学を考える方もいますね。私たちも海外の大学を目指す生徒のチャレンジは、できる限り支援しています。日本の進学校の高校3年生は、英語力さえあれば海外のトップ校を狙える学力は十分もっていると思います。
平 本校でも国際交流などを通じ、海外の若者と触れ合った生徒が海外の大学へ関心をもつケースが多いですね。日本は中国との関係も重要なので、今後は英語だけではなく、中国語を学ぶ生徒も増えてほしいと思っています。
行事やクラブ活動が活発な名門進学校
髙宮 この3年間、教育現場もコロナ禍で大変だったと思います。子どもたちへの影響はいかがですか。
平 コロナ禍自体は2度と起きてほしくない悲劇ですが、子どもたちにはさまざまな気づきを与えたと思います。今や世界はひとつにつながっていて、海外の出来事に無関心ではいられないこと。医療従事者やエッセンシャルワーカーが身を粉にして働いていることで社会が支えられている、といったことなどです。コロナ禍の経験を通し、医療や科学の分野で人類に貢献したいと考える生徒も増えています。
野水 この3年間、生徒も教員もさまざまな困難に直面し、みんなで力を合わせて乗り越えてきました。その経験により、今後さまざまな困難があっても乗り越えていけるたくましさを身につけたように思います。オンライン授業などのICT化が一気に進んだのも、コロナ禍によるけがの功名です。
髙宮 パンデミックによって学校行事や部活動にも大きな影響がありました。とりわけ麻布や開成のような名門進学校は、学校行事や部活が活発ですよね。
野水 本校の中学1年生に「なぜうちの学校を選んだの?」と聞くと「文化祭や運動会がすごく良かったから」との返事がよく返ってきます。「文化祭で先輩がすごく親切に対応してくれたから、この学校に来たいと思った」という生徒が多いんです。
平 本校もクラブ活動は非常に活発です。先生方も日頃の練習や大会への引率、合宿など、とても熱心に取り組んでくださっています。クラブ活動を通じて生まれる生徒と先生の絆、生徒の成長する姿を見ていると、クラブ活動の外部化には疑問も感じます。教員の負担を抑えるためとの趣旨はわかるのですが……。
髙宮 今は時代の流れにあわせて新しい教科や科目がどんどん加わり、教員の負担がますます増えています。
平 その結果、教員が一人ひとりの生徒とじっくり向き合えなくなるのでは、本末転倒です。学校現場は本来、教員や生徒にゆとりがあって、生き生きと主体的に、勉学や課外活動に取り組める場であるべきだと思います。
子どもの意欲を高め才能を伸ばすために
髙宮 開成や麻布は自由な校風で、教員や生徒の自主性を重んじています。個性的な名物先生も多いですよね。
野水 本校では歴史の研究で論文博士を取得した方、プロの芸術家や小説家などが教員として教えています。教育において最も大事なことは、生徒によい刺激を与え、知的好奇心や勉学への意欲を育むことです。そのためには知識やノウハウより、研究や専門分野に取り組む姿勢を伝えることが大事で、ときには教科書から脱線した話のほうが重要だったりします。
平 今、しきりに言われている探究型の授業も、本校では 15年以上も前から取り組んでいます。教養総合という学年の枠を超えた少人数のゼミ形式の授業では、現代医療や司法制度の課題などを取り上げ、生徒たちによい刺激となっています。
髙宮 結局のところ教育とは、教員や学友からの触発によって、子どもたち一人ひとりの可能性をいかに伸ばすかにある。その本質はいつの時代も変わらないということですね。
平 その本質を忘れた経済至上主義、大人の都合による教育改革には危機感を抱きます。
野水 教育は今の社会に子どもを合わせるのではなく、一人ひとりの子どもがもつ才能を伸ばし、その先に理想の未来を築くための営みです。
髙宮 そのような高い志のもと、現場の教員のみなさんが日々、熱意をもって教育に取り組まれていることを頼もしく思いました。本日はありがとうございます。
麻布中学校 麻布高等学校 校長
平 秀明/たいら・ひであき
1960年5月、東京生まれ。79年麻布高等学校卒業。東京大学工学部、教育学部を卒業後、85年より麻布学園に数学科専任教諭として28年間勤務。2013年4月より校長をつとめる。校長就任後は毎週月曜日の朝、校門に立って生徒と挨拶を交わすことを楽しみとしている。
開成中学校 開成高等学校 校長
野水 勉/のみず・つとむ
1954年、福岡県生まれ。開成中学校・高等学校、東京大学工学部、同大学院工学系研究科工業化学専攻修士課程修了。動力炉・核燃料開発事業団研究員を経て、名古屋大学工学部助手、同大学院工学研究科で博士号取得。ハーバード大学医学部客員研究員や名大教授などを経て、2020年4月から現職。
SAPIX YOZEMI GROUP共同代表 教育学博士
髙宮 敏郎/たかみや・としろう
1997年慶應義塾大学経済学部卒業。三菱信託銀行(現三菱UFJ信託銀行)を経て、2000年学校法人高宮学園代々木ゼミナールに。米ペンシルバニア大学で大学経営学を学び、教育学博士号を取得。09年から副理事長。現在、SAPIX小学部、SAPIX中学部、Y-SAPIXなどを運営する株式会社日本入試センター代表取締役副社長などを兼務。