特別対談 ~ICTの活用で変わる、これからの日本の教育~
脳科学者/医学博士/認知科学者
中野信子 氏
×
レノボ・ジャパン合同会社代表取締役社長
デビット・ベネット 氏

日本の学校教育の現場で、急速に進められているICT(情報通信技術)の活用。「教育未来創造会議」の有識者委員を務める脳科学者の中野信子氏と、教育現場のICT化に力を入れるレノボ・ジャパン合同会社代表取締役社長のデビット・ベネット氏による教育対談の後編では、ICT教育によって子どもたちに育まれることが期待されているチカラについて語り合っていただいた。先が読めないこれからの時代に欠かせないPCリテラシーや、最近注目の「STEAM教育」や「文理融合教育」について、語り合った。

これから先、PCが自由に使えないのはリスクに

ベネット GIGAスクール構想の実現によって、全国の小中高等学校で1人1台のPCが実現されようとしています。それが実現すれば、誰もが自由にインターネットにつながり、いろんなことを知り、学ぶことができる。ICTには学びを平等にする力があると言えるのではないでしょうか。

中野 日本では長らく、知識を持っている人が権威者だという時代が続いてきましたが、今一番知識があるのはどこかというと、インターネットの中です。知識を持っている人が必ずしも権威者ではなくなってきました。では、誰が権威者かというと、それを運用する方法を知っている人だと思います。知識の宝庫であるインターネット、その運用法を教えることこそが、今の教育に求められていることです。

ベネット そうですよね。私たちの世界はこの先、ICT機器を使う場面がますます増えていきます。どんな仕事に就いたとしてもPCリテラシーは必要になります。そういう時代を生きていく子どもたちには、できるだけ早い段階からPCの使い方やプログラミングの考え方を身につけさせた方がいい。PCは、もはや文房具の一つです。鉛筆を使うように自由に使えるようになることが必要だと思います。

中野 これから先、PCを自由に使いこなせないというのは、文字を読めないのと同じくらい不便なことになっていくと思います。PCという新しい技術に触れること、よくわからない世界に触れることを危険だ、と考える人もまだまだいるようですが、むしろ知らないことの方が危険。こういう危険があるということさえわかっていれば、それを回避する方法をネットで検索できます。それが出来なかったら、これから先どうやって身を守ればいいのか。この先はICT機器を使えないことの方がリスクだと思います。

イメージ

ICT機器は特性を考え、使い分けることが重要

ベネット ICT機器にはさまざまなデバイスがあります。日本では他の国に比べてゲーム機や携帯電話などから手にし始める子どもが多いようですが、小学生から1人1台のPCが配置されるようになったこの先は、事情が変わってくると思います。

中野 スマートフォンやタブレット型の端末などの簡易型のデバイスは、とても便利ですし、ケータイ小説がはやった時期もありました。でも、やはり限界があると思います。PCがなければ、自分の好きなものを作ることができなくなっています。これから先、PCは人生の自由度を増やすための重要なツールになっていくと思います。

ベネット スマートフォンやタブレット型の端末は検索したり、読んだり、見たりといった受動的な作業にはとても便利ですし、向いていると思います。しかし、実際に何かクリエイティブな作業、能動的な作業をするには不便を感じることが多いのではないでしょうか。思考力を育てるプログラミング教育はもちろん、日本でも最近、その重要性が注目されている「STEAM教育(※)」においても、PCは必要不可欠なデバイスです。

中野 これからは生き方の価値観が大きく変わっていく時代。昔のようにいい大学に入って、いい会社に就職するのが幸せ、というような価値観は通用しません。そんな不確実な時代にどう生き延びていけばいいのか。大人も子どもと一緒に考えていく必要があります。そのツールとして、PCがあるといいのではないでしょうか。

※教育科学(Science)、技術(Technology)、工学(Engineering)、アート(Art)、数学(Mathematics)という、5つの分野の学習を通して、論理的思考や問題解決能力などを身につけることを目的とした教育概念。

中野信子さん3

これからは自分の「好きなこと」を学ぶ時代

ベネット 2020年度から、日本の小学校でもプログラミング教育が必修になりました。プログラミング教育で大切なのは、プログラミング言語を覚えることではありません。大切なのは、プログラミング的思考を身につけること。つまり、自分で課題を見つけ、自分で解決していく力をつけることです。これからの時代には、そういう力を身につけることがますます重要になってきます。

中野 これまでの日本の教育は、子どもにやりたいことを我慢させ、とにかくいい大学へ入るために勉強させるというのがスタンダードだったと思います。でも、これからは、子どもたちの「やりたい」を掘り起こし、それを実現するために必要なスキルを身につけさせていくことが何よりも重要になっていくでしょう。そういう形の教育に転換していくためには、ICT教育を推進しようとしている今がいいチャンスだと思います。

ベネット 私も、子どもたちには自分のやりたいこと、好きな勉強をやらせてあげるべきだと思います。好きなことだったら、子どもたちは放っておいても自分から進んで勉強するし、記憶も定着しやすいから効率的です。私はカナダでの大学時代、メジャー(専攻)が日本の古典文学で、マイナー(副専攻)がコンピューター・サイエンスでした。理由は、どちらも好きだからです。日本の古典文学に関心を持ったのは、文法に魅せられたから。語尾を変えるだけで文章の意味が変わっていくなんて、コンピューター・プログラミングとすごく似ていて、おもしろいと思いました。

中野 確かに文法とプログラミングはロジカルなところが似ているかも(笑)。自分の好きなことを見つけることを難しく考える必要はないと思っています。例えば、アニメが好きなら、その中のキャラクターを動かすゲームを作ってみようとか、その程度のことから始めてもいい。何度も言いますが、私は本当に今の子どもに生まれたかったです。PCでインターネットにつながることができれば、いろんなことができます。10代で会社を作る人たちが登場してきているのも、PCがあるからこそだと思います。

ベネット 最近「文理融合教育」の必要性が叫ばれていますが、私も学びの領域がオーバーラップしないことは日本の教育の課題の一つだと思っています。例えば、私が学んでいた古典文学とコンピューター・プログラミングを勉強する人は、おそらく日本では全く違う人たちではないでしょうか。日本は高校で理系は理系、文系は文系と分かれるようですが、ちょっと選択するタイミングが早過ぎる気がします。

中野 確かにそうですね。私が学んでいた大学は、2年生まで決める必要がなくてよかったと思っています。なぜかというと、いろんなことを学ぼうとするし、いろんなことができるからです。そうすると、大人になってからまた大学院で学び直そうと思えます。実は今、私は大学で二つ目のドクター取得を目指しています。学んでいるのは、コンテンポラリーアート。「サイエンスやメディカルを学んできた人が、なぜ?」と、よく驚かれるのですが、実はものすごく関係があるんです。領域にこだわらず、オーバーラップしながら自由に好きなことを学ぶと、いろいろなことがつながっていく感覚があって、とてもおもしろい。そもそも学びは喜びであり、楽しいこと。勉強は真面目にやらなきゃいけないものではありません。どんな子にも必ず好きなことはあるはずだし、見つけられなければ、それを探すためにICTを活用してほしいと思います。

ベネット氏2

子どもたちの選択肢を広げるためのICT教育

ベネット 「これからはAIの時代だ」とよく言われますが、実はAIのことをよくわかっていない人が多いのではないでしょうか。AIが出す答えは絶対ではありません。AIはアウトプットが重要なのではなく、実はインプットの方が大事。インプットを失敗すると、アウトプットが役に立たないものになるから、何を入れるかがすごく重要ですね。

中野 確かに、AIに対して多くの人が幻想を持っていると感じます。AIはある一定の規則に従って答えを出す装置に過ぎません。それを知っていなければ、出てきた答えが本当に妥当かどうか判断できません。ベネットさんがおっしゃったように、AIは入れる数値を間違えると、見当違いな答えが出てくることもあり、それは科学も同じです。AIや科学を正しく理解し、活用するには、それらがどういう装置なのか、それをどのように運用すべきなのか、その仕組みを理解していることが大事だと思います。

ベネット おっしゃる通りです。そして、それは教育も同じだと思います。これからの時代は、自分の好きなことを勉強する方が、どんな大学に入ったかという結果よりも大事になってきます。子どもたちが自分の好きなことを学ぶために、好きなことを見つけるスキルを教えたり、そういう教育環境を整えたりすることこそが、私たち大人の役割なのではないでしょうか。そして、子どもたちの選択肢を広げるために進めるべきなのがICT教育だということをぜひ知っていただきたいと思います。

【プロフィール】

デビット・ベネット/1979年、ジャマイカ生まれ。カナダ・トロント大学大学院卒。早稲田大学にて日本語を習得、学習院女子大学大学院で日本古典文学を学ぶ。東京で社会人キャリアをスタートした後、大手半導体メーカーを経て2018年から現職。NECパーソナルコンピュータ株式会社代表取締役執行役員社長、山形大学客員教授も務める。

なかの・のぶこ/1975年、東京都生まれ。東京大学工学部卒業後、同大学院医学系研究科を修了。脳神経医学博士号取得。脳や心理学をテーマに研究や執筆活動を行う一方、東日本国際大学教授、京都芸術大学客員教授として教鞭を執る傍ら、美術研究者としても活動の場を広げる。脳科学や心理学の知見を活かし、さまざまなメディアで活躍している。202112月に「教育未来創造会議」有識者委員に就任。