特別対談 ~ICTの活用で変わる、これからの日本の教育~
脳科学者/医学博士/認知科学者
中野信子 氏
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レノボ・ジャパン合同会社代表取締役社長
デビット・ベネット 氏
世界の国々に比べて遅れている日本のICT教育
ベネット これまでいろいろな国を見てきましたが、日本の学校教育の一番の問題はPCリテラシー(コンピューター機器を正しく理解し、使いこなす能力)の低さだと思います。これから日本が世界を相手に競争していくのであれば、PCリテラシーは必須。ICT教育の遅れは、大きな問題だと思います。
中野 日本のPCリテラシーが低いのは、問題が起きたとき、知識偏重となっていて、知識を持っている人を権威者として扱い、運用方法を教えることに欠けているからではないでしょうか。日本の大人は子どもが新しい文化や新しい技術に触れるのをいつも恐れてきました。ゲームやマンガがそうでしたし、もっと昔には小説や新聞が恐れられた時代もあったと思います。
ベネット 他のOECD加盟国と比べた調査(※)でも、学習活動におけるデジタル機器の利用の遅れが明らかになりました。文部科学省も「児童・生徒一人一台のコンピューター」の実現などを目指す「GIGAスクール構想」を推進しています。コロナ禍でオンライン授業が進んだこともあって計画を大幅に前倒し、全国の学校に配布されたコンピューターの数は800万台を超えました。その結果、教育用コンピューターの学校への普及が大幅に進みました(下記グラフ参照)。
中野 800万台ですか。すごい数ですね。手元にPCがあれば、いろんなことができそう。私も今の子どもに生まれたかったです(笑)。
※)経済協力開発機構(OECD)が2018年に実施した「生徒の学習到達度調査(PISA)」
配布されたPCが活用されていないという課題
ベネット ところが、せっかく子どもたちの手元にPCが届いたというのに、それが十分に活用されていないようです。日本のGIGAスクール構想は、規模的にも、配布されたPCの性能的にも、世界の国々の同様のプロジェクトと比較しても素晴らしいだけに、そこがうまく進んでいないのはとても残念です。日本では授業でPCを使う時も、「はい、パソコンを開いてください」「では、次に電源を入れましょう」と、号令で触らせようとする先生もいます。でも、今の子どもたちは、生まれた時からインターネットやパソコンのある環境で育ってきた“デジタル・ネイティブ”。彼らはPCをはじめ、ICTに抵抗は全くないはずです。教育にICTを活用することに抵抗があるのは、先生たちの方だと思います。子どもたちに自由にPCを触らせて、何か問題でも起きたら困る、と考える先生が日本には少なくないようです。
中野 日本の学校は、問題が起こらないのをよしとする傾向が強いですからね。あと先生たちのスキル不足もあると思います。先生たちの多くは、ICT教育を受けていない世代。ICTをどう授業に活用していけばよいのか、想像がつかない人も多いのではないでしょうか。そもそも、学校教育の現場に人員が足りていないという問題もあります。そういう点に関しては、ICTの授業だけ企業からスキルのある人を派遣してもらうなど、教育のサポーター制度があってもいいのではないか、と思っています。
ベネット もう一つの課題は、ICT教育にふさわしい良質なコンテンツが足りていないということです。それに関しては、私たちパソコンメーカーも責任を感じています。児童・生徒のPCリテラシーを高めるのが、GIGAスクール構想の目的です。ならば、ハードだけでなく、コンテンツも用意した方が絶対にいいはずです。そこで、私たちが提供を始めたのが、学校用のプログラミング教材と教師用のガイドなどをセットにした『みんなでプログラミング』です。小学生向けの初級コンテンツから、中高生向けのプログラミング言語を使った実践的なコンテンツを揃えています。ICT教育の入り口として使ってもらえたら、と願っています。
中野 デバイスとコンテンツがパッケージで提供されるのはとてもいいですね。何事も入り口が肝心ですから。入り口さえ教えてもらえたら、あとは子どもたちが自分の力で自由に学びを進めていけるのではないでしょうか。
これからの教師の役割は、“学びの伴走者”
中野 私はこれからの時代、先生が常に「教える」という立場のままでいるのは難しいのではないかと思っています。今は技術の発達するスピードがものすごく速くなっているので、先生が新しいものについていこうとしても疲弊するだけです。しかも、一人の先生が何十人もの児童・生徒を担当しているわけですから、一人ひとりに手が回らなくなって当然です。私は、これからの時代の先生の役割は、子どもたちの“学びの伴走者”になることだと思います。先生が全てをキャッチアップすることを諦め、できる子どもにできない子どもを教えさせる時間があってもいいのではないでしょうか。先生はクラス全体を見ながら、何か問題が起きた時にサポートをする。そういう役割が、これからの先生には求められていると思います。
ベネット 日本は上下関係が厳しい国なので、「先生が教える側で、子どもは受ける側」という、従来の教育の形を変えるのが難しいのだろうな、と思ってきました。でも、少なくともICT教育に関しては、子どもに任せた方が絶対にいいですし、逆に、先生が子どもから教わることがあってもいいと思います。それも、子どもにとっては貴重な経験になります。
中野 そうですよね。私は授業にも基礎的なスキルを学ぶ授業と、一つの課題を自分の好きな方法で解決する授業との“二階建て”があってもいいのではないかと思っています。子どもたち全員を一律に学ばせよう、という考えには無理があります。子どもたちが何のために学校へ行くのかというと、できない子とできる子がいて、そこで助け合いながら学ぶためです。本来の教育とは、差があっても助け合うことで最終的に差がなくなることを目指すべきではないでしょうか。そういう子どもたちをサポートしていくことが、これからの先生の役割だと思います。
ベネット 先生たちはどうか恐れずに、子どもたちに自由にPCを使わせて欲しいと思います。僕はよく仕事でも「リスクをとれ!失敗してもいいから」と言っています。日本にも「失敗は成功のもと」という諺(ことわざ)があるじゃないですか。子どもたちには失敗してもいいから、とにかくやらせてみることが大事だと思います。
中野 そうですね。失敗しないことではなく、失敗した時の立ち上がり方を学ぶことが本来の教育なのではないでしょうか。それを子どもの頃に学んでおけば、大人になっても新しいチャレンジができます。
子どもへの情報モラル教育は、大人の責任
ベネット 大人の知らないことを子どもが知ることを不安に思うのは、先生以上に親もそうだと思います。僕も親として「ゲームをやり過ぎているなぁ」と心配になることもあります。でも、重要なのはバランスではないでしょうか。子どもたちの様子をよく見ていると、ゲームを通じて友だちといろんなことを話したり、自分が興味や関心を持ったことについて調べたりしているようです。親が教えていない、宗教や政治について知っていて驚かされることもあります。今、インターネットは世界を知るための窓口になっています。心配だからと言って、親が守ろうとし過ぎると、子どもは成長できません。信頼するのがすごく大事。難しいですけどね(笑)。
中野 「ゲームをやっちゃダメ」と、制限されればされるほどやりたくなるのが人間です。それは、子供だけでなく大人もそうですよね(笑)。むやみに禁止するよりゲームをしてもいい時間を決めるなど、親が節度を持った態度を示せば、子どももそれに倣うのではないでしょうか。
ベネット デジタル化の波は止められません。その中では「デジタル・シティズンシップ」を教える、いわゆる情報モラル教育はもちろん大切です。現実社会で新しい環境や新しい場所へ行く時と同じように、インターネットの世界にはこういうルールがあるから注意しなければならない、ということは周りの大人たちがきちんと教えなければなりません。それは大人の責任だと思います。
中野 そうですね。私は、何も難しく考える必要はないと思っています。知らない人に個人情報や写真を送ってはいけない、人に対して暴言を吐いてはいけない、など基本的には現実社会と同じルールですから。どんな世界にもいい人もいれば悪い人もいますし、みんながみんな倫理的な人ばかりではありません。その点は子どもたちにしっかり教えながら、大人も子どもと共にICTを学んでいけばいいのではないでしょうか。
【プロフィール】
デビット・ベネット/1979年、ジャマイカ生まれ。カナダ・トロント大学大学院卒。早稲田大学にて日本語を習得、学習院女子大学大学院で日本古典文学を学ぶ。東京で社会人キャリアをスタートした後、大手半導体メーカーを経て2018年から現職。NECパーソナルコンピュータ株式会社代表取締役執行役員社長、山形大学客員教授も務める。
なかの・のぶこ/1975年、東京都生まれ。東京大学工学部卒業後、同大学院医学系研究科を修了。脳神経医学博士号取得。脳や心理学をテーマに研究や執筆活動を行う一方、東日本国際大学教授、京都芸術大学客員教授として教鞭を執る傍ら、美術研究者としても活動の場を広げる。脳科学や心理学の知見を活かし、さまざまなメディアで活躍している。2021年12月に「教育未来創造会議」有識者委員に就任。