全国どこの病院でも一定の質を備えた医療が提供される日本で、医師は、揺るぎない信頼を寄せられる存在だ。
日々、あらたな挑戦が続く医療現場に志を持つ人材を送り出すために、重要なことは何か。
医学部予備校・富士学院学院長の坂本友寛氏が、心臓オフポンプ手術の第一人者であり、上皇執刀医として知られる順天堂大学医学部心臓血管外科主任教授の天野篤氏と語り合った。
良医への道を歩むため 医学部受験はスタート
坂本 天野先生は日本を代表する心臓外科医で、上皇さま(当時天皇陛下)の心臓手術で執刀されたことでも知られています。先生に憧れ、順天堂大学で学びたいと願う受験生もたくさんいる中、教授として医学生を指導するなかで、医学部受験の現場をどう見ていますか。
天野 私は、医系予備校とは、医学部に入学するだけでなく、医学部の6年間を突破し国家試験に向かう力も蓄えさせるところだと思っています。順天堂大学のデータでも、留年を繰り返した学生は国家試験の合格率が低いんです。食らいついていく学生が合格する。受験から逃げない姿勢を養うことがその後に影響すると思います。
坂本 そうですよね。医学部合格はゴールではなくスタートです。医系予備校の目的は、医学部合格だけではなく、将来その受験生が立派な医師になることでなければならないと思います。それにはただ試験に通ればいいという教育だけでは足りないと思います。
天野 私は医学部に入るまでに3浪していますが、大手の受験予備校では基本的に生徒任せで、受験のためのコンディショニングをアドバイスしてもらうようなことはありませんでした。受験勉強が合格のためではなくその先のためでもあると理解できる受験生は、将来もいい位置に行けるのではないでしょうか。
坂本 先生は、予備校はどんな風に利用されましたか。
天野 1浪目の6月の模試で、東大理Ⅰの合格率がA判定だったので、そこから気を抜いてマージャン通いに(笑)。当時は、浪人生は野球で言えばレギュラーになれない2軍、だということがわからなかった。2軍で成績がよくても試合には出られないじゃないですか。
坂本 私たちも多浪生を預かることが多くありますが、たとえそれまで10浪していても、本人が本気になったところからが本当のスタートなんですよね。私の経験から言うと、本気になれば必ず先が見えてくると思います。
天野 今は、中学受験をするために小学校の3年くらいから準備をする子もいるでしょう。10歳になるかならないかのうちに人生を決めることになる。でも中には、高校生になってから医師になりたいと思ったり、別の道を目指していても途中で方向転換したりする子もいる。一度あきらめたことに再チャレンジする子も。そういう子を後押しするシステムも必要じゃないでしょうか。
坂本 予備校はチャレンジを受け入れる場であるべきですね。私たちは、現時点で学力的に厳しい生徒でも、医学部に行きたい、そのために頑張る、という意志があれば原則全ての生徒を受け入れていますし、大学生や社会人などの再受験生も受け入れ、しっかりと結果も出しています。大事なのは医師になりたいという強い気持ちです。その思いの強さが最後まで頑張るモチベーションにもつながっていきます。
何のための勉強か 将来につながる意識を
天野 先日、医師を志す高校生に、数学の試験問題はなぜ因数分解から始まって次に数式の展開、そして答えだけを入れる問題があり、最後に記述問題があるのかという話をしました。それは、医師になるとわかるんです。数学は答えがあって、そのルートを見つけるものなので、患者さんの手術と同じです。患部にできるだけ早く到達するのが因数分解であり、どこを切れば血管がどういうふうになっているか考えるのが数式の展開であり、心臓をいったん止めて人工心肺をつけるのは答えだけを埋める問題、そして、患部を開いて到達するのが記述問題なんです。この話をすると、生徒たちの目がカッとこちらに向きますね。
坂本 何のために勉強しているのか、それを伝えるのは非常に大事だと思います。勉強のための勉強はつらいんです。今の勉強が将来の医師としての活躍に結びついていることがわかれば、生徒は頑張れます。受験をドロップアウトする原因のひとつは生徒自身に医師になるという自覚や覚悟が足りないことです。
天野 私は高校生たちに話す機会がたまにあるのですが、予備校に来ている子たちに自覚を促すにはどうするんですか。
坂本 先生のような現役医師の話を直接聞くことは非常に効果的です。あと富士学院でやっていることは、入学当初から面接指導を何度も行い、自己分析を徹底させます。自分はどうして医師になりたいのか、どういう医師になりたいのか。医学部に合格するための面接指導ではなく、医師として頑張っていく心構えとか、医学部6年間をやり抜く意志を、本人に自覚させていきます。
天野 それはすごく大事です。有言実行の鍵を開けてあげるんですね。自分のやりたいことを言い出せず、内に秘めてしまっている生徒って結構いるんです。気づかなかった才能に気づくかもしれない。
坂本 そのためには、こちらも本気で向き合う必要があります。医師と患者さんの関係も同じだと思いますが、講師も信頼されることから始まります。
天野 人間教育に力を入れるということですか。
坂本 はい。医師は医療のスペシャリストであるだけでなく、優れたカウンセラーであり、高いコミュニケーション能力を備えた人材であるべきです。そのような良医になる自覚を持たせる教育を常に意識しています。精神的な面だけでなく、健康面も大事なので、全ての校舎に専用の食堂と寮を備え、生活面もサポートしています。また、予備校には珍しくOB会があり、医学部入学後のOB生やドクターを応援しています。
環境を味方につけ チームで合格に向かう
天野 学院長の本を読むと、受験は団体戦だとおっしゃっていますね。
坂本 受験そのものは個人戦ではありますが、私たちはチームとして生徒一人ひとりを全力で支えていきます。そういった学院内の環境が生徒にも伝わり、生徒同志もお互いに助け合い、切磋琢磨できる環境ができていると思います。
天野 賛成です。自分が底辺でもいいから引っかかりたい、そのためには隣に座っている受験生が落ちればいい、と思うとダメですよね。そんなギリギリの気持ちではいい医者になれるわけがない。
坂本 富士学院の生徒たちは本当に仲がいいんです。勉強を教えあうこともよくありますし、人を蹴落とすというより一緒に頑張るほうが絶対力は出ますよね。
天野 受験勉強は、「机に座ったらすぐ勉強する」を癖にするというのも、かなりのアドバンテージになると思います。
坂本 それが、なかなか難しいんですよね。
天野 そう、だいたい机に座ってもスマホ見たりするでしょう? 医局の優秀な連中は、なにか指示するとすぐに取り掛かり、仕上げるスピードも速い。自分の中にリズム感が身についているんでしょうね。医系予備校で、やる気があって、そのリズム感をつけたらほとんどの生徒が合格じゃないでしょうか。
坂本 そうですね。あとは面接試験ですね。
天野 私が面接官をやっていたときは、面接の点数が最低だった受験生は、たとえ他の受験生より筆記の点数が良くても、不合格でした。
坂本 大学によっても違いますが、面接重視の傾向は本当に強くなっています。生徒たちには、自分自身が本物の人材になることを意識させています。それには、面接の受け答えに自ずと表れる倫理感を身につけることが必要です。
天野 大学だって良い学生がほしい。それを面接で見極めています。
坂本 あと合格には受験生と大学との相性も関係してきます。富士学院でも、他の医学部はすべて落ちたのに、ある大学だけトップの成績で合格した生徒がいました。私たちは受験のプロとして、大学ごとの入試問題の傾向や合否判断基準などを見定めて、受験生に合う出願先を勧めています。大事なのは医学部に入り医師になることです。目標を持つことは必要ですが、行きたい大学と行ける大学が違うのは医学部入試にはよくあることです。
医療界で活躍するため 生涯、幅広い学びを
坂本 合格を果たしたのち、実際の医療現場で求められる人材とは、どんな人ですか。
天野 自分のことよりも、人のために汗がかける人でしょう。そういう要素がないと通用しないと思います。医療安全が重視されるなかで、膨大なエビデンスから答えを導き出せる力が必要です。
坂本 そのためにはどういう努力が必要でしょうか?
天野 患者さんを守るには、何が最善かを考えなければならない。緩和医療か、対症療法か、あるいは何もしないことかもしれません。そういう判断力は、多角的にものを見ることから養われます。医学書に出ていることだけではなく、いわゆるリベラルアーツを学ぶ必要があるでしょう。歴史のなかで、人類はこれまでどんな判断をしてきたか。今私たちが享受している芸術は、いつどうやって成り立ったか。歴史の表だけではなく裏側も知り、いつも自由にものを考えられる人間でないと、いい診断、いい治療はできないんです。
坂本 それはドクターになってからも勉強を続けるということですね。
天野 そうです。生涯学習は医学の知識を得る勉強だけではない。患者さんとコミュニケーションをとり、信頼関係を結ぶためにも必要です。今は、症例や検査結果をデータとして入れると、AIが手術の死亡率や合併症の起こる確率を出す時代です。その判断を補うのはリベラルアーツを身につけた人間なんです。私が30代の時、人生の大先輩である60代の患者さんが信頼して手術を任せてくれた。それは、そういう人間関係が築けたからなんです。
坂本 これから医師を目指す若者たちに、天野先生からぜひメッセージをお願いします。
天野 日本の医療は進んでいます。でも、世界の発展途上の国には、まだ医療技術が行き渡っていない地域がある。これから医師になる人には、ほかの国に技術を広めていくという使命もあると思います。一般の企業の人たちと協力して、世界を相手にした医療ビジネスを立ち上げるなど、治療だけにとどまらない活躍の場があるのではないでしょうか。若い人には、そういう柔軟な考えを身につけていってもらいたいですね。
坂本 そうですよね。私達もOB会を含め医療業界全体の未来にも貢献できるよう、これからも頑張っていきたいと思っています。今日はありがとうございました。