●2019年7月6日(土) ●於:レソラNTT夢天神ホール(福岡市中央区) 主催/久留米大学、朝日新聞社 後援/福岡県、福岡市、久留米市、福岡県教育委員会
久留米大学と朝日新聞社共催による医療フォーラムが開催されました。久留米大学は九州医学専門学校として創設され、現在6学部13学科、4つの大学院、20の研究所・センターからなります。当フォーラムは、第1部では、白血病と乳がんを題材にした医療講演を行い、第2部ではご自身もがんを経験されたタレントの麻木久仁子さんをお招きし、トークセッションを行いました。
ご挨拶
本日はお集まりいただきありがとうございます。当フォーラムは平成29年度に文部科学省に採択された私立大学研究ブランディング事業の一環として実施いたします。本学は、教育・研究・医療の三つを使命としていますが、その中の「がん治療・研究」が本日の題材です。「がん」という誰もが身に降りかかる現実的な話を知識として持ち帰っていただき、有意義な学びの時間となれば幸いです。
医療講演(1)
白血病 めざましい治療の進歩
かつて“不治の病”の印象が強かった白血病ですが、近年、その治療成績は飛躍的に向上しています。白血病とは、がん化した細胞の種類から「骨髄性」と「リンパ性」に分けられ、週単位で進行する場合は「急性」、年単位の場合は「慢性」に分類されます。治療法としては、主に薬物療法、移植療法の二つ。骨髄移植は治療効果も高いですが、その半面副作用が強く出ます。薬物療法の場合は、治療効果はゆるやかですが、副作用は少なくなります。
急性骨髄性白血病は、抗癌剤による化学療法が基本です。かつて長期生存(60歳未満)は、1割のみでしたが、現在は約5割までに向上。慢性骨髄性白血病は遺伝子の解明、分子標的薬の開発により、治療は革命的に進歩しています。イマチニブという分子標的薬を適切に使った場合、生存率はほぼ100%です。急性リンパ性白血病については、本学では定期的に臨床試験を行っており、20年弱の研究によって測定可能残存病変という高精度な白血病細胞の評価をすることで、不必要な移植を避けることが可能に。早期にこの残存数が減少した方は、移植をせずとも70%が治るといわれています。
かつて10年かかるといわれた遺伝子検査は、近年わずか1日で可能になりました。一人ひとりの症状に合わせた個別化医療も進み、かつて不治の病であった白血病の治療成績は、格段に向上しています。しかし、白血病は治っても、抗がん剤治療や移植治療の長期的な副作用は、新たな問題です。今後私たちは“いかに健康に治すか”を真剣に考えていかなければなりません。
医療講演(2)
乳がん―身近ながん、早期発見のための正しい知識―
みなさんは乳がん検診を受けたことはありますか? 実は日本の受診率は42.1%(2013年)と他の先進国と比べ格段に低く、アメリカにおいては84.5%(2012年)と日本の倍以上の受診率となっています。
自己症状があり、受診して見つかる方が6割以上ですが、ステージが上がった状態で見つかることが多いのが実情です。逆に定期検診で見つかった方は早期であることが多く、ステージ1の方が50%以上という報告があります。ですので、もし自覚症状がある場合は、検診ではなく、医療機関を受診しましょう。早く見つかるほど予後がよく、ステージ1の場合は、9割以上の生存率が見込めます。
乳がん検診の種類は、現在はマンモグラフィが主軸です。多くの方が気にされているのが、マンモグラフィによる被ばく。実際の被ばく量は最大でも0.15mSvと、自然放射線の2.4mSvと比較しても圧倒的に低い数値です。よって、マンモグラフィで受けるリスクよりも、乳がんが見つかる貢献度の方が高いことが分かります。ほかに、超音波検査もあります。超音波は痛みもなく、被ばくもしないというメリットがありますが、検査する人や施設によって精度管理が難しいのが難点。以上の点から、まずはマンモグラフィを受けることをお勧めします。
乳がん検診を受けたことがない方、セルフチェックをして胸に何か異常を感じた方。早期発見ほど、治療も心の負担も軽くなります。まずは受診、これが大切な一歩です。
ゲストトーク
麻木さんに聞く ~がんと向き合うには~
――約7年前に乳がんを経験された麻木久仁子さん。がんを発見したきっかけは何だったのでしょうか?
麻木 50歳になる頃に人間ドックを受診し、その時に乳がんが両胸に見つかりました。人間ドックを受診した理由も、48歳の時に脳梗塞を経験したから。幸いにも脳梗塞は軽く、後遺症もなかったので安心しましたが、それまで病気知らずだったため驚きました。それで、健康への心構えを正す意味でも人間ドックを受診しようと。乳がんは早期に発見できたのでステージ0でした。
――ご家族にはどう伝えましたか?
麻木 その時、娘は高校2年生で、最初は驚いて涙を流していました。しかし、私の主治医の先生が本当に頼もしい方で。病院でがんを宣告され呆然としている私に、先生は時間をかけて、腫瘍の大きさ、位置、使用する薬について……と、症状について詳しく丁寧に説明して紙に書いてくれたんです。それで安心できましたし、すごく納得できた。だから、娘にも先生がしてくれたように伝えれば、安心してくれると確信していました。おかげで、娘は30分後にはケロっとしていましたね(笑)。
――どんな治療を受けましたか?
麻木 早期発見で転移もなく、ホルモン治療も効く体質だったため治療はスムーズでした。手術に関しても部分切除のみ。その後、約2カ月弱放射線治療を受け、5年間のホルモン治療も一昨年終了。現在は半年に1回のエコー検査、年に1回のマンモグラフィ検査を続けています。
――がんを経験し、仕事への意識など、日常の変化はありましたか?
麻木 実は9年前の脳梗塞の時は、病気を公表しませんでした。病気であることがリスクと思われるんじゃないかと不安だったんだと思います。キャリアが終わるのではないかと……。しかし、乳がんに関しては公表することを決意。その間の2年というわずかの間に病気に対する世の中の空気が変わったように感じました。多くの方が病気と闘いながら、時に共存しながら社会復帰しています。がんは多くの方が闘っている病ですが、一人ひとりがんの種類や転移の有無、ステージ、治療方法などが異なり、個人個人が多様な敵と闘っています。みんなに降りかかる普遍的なことなのに、とても多様性のあるものですよね。この多様性を社会がどう受け入れていくかが今後の課題になると思っています。
パネルディスカッション
麻木さんと久留米大学生が語る ~がんの時代を生きる~
――パネルディスカッション「麻木久仁子さんと久留米大学生が語る〜がんの時代を生きる〜」では、9名の学生にお越しいただいています。各学科の専門性に基づいて、麻木さんに質問していきましょう。
文学部(心理学科) 麻木さんはがんの治療から現在に至るまで、どんな困難を感じ、乗り越えましたか?
麻木 私は早期発見だったため、恵まれた患者だったと思います。ほかのがん闘病中の方とお話ししていると、「治療が大変なら仕事辞めたら?」と、周りの人がよかれと思ってかけた言葉に傷ついている方も多くいました。“社会と切り離される怖さ”は、やはり経験者でないと気づきにくいもの。この思いを多くの方に知ってもらいたいですね。
人間健康学部(総合子ども学科) 子供は親の変化に大変敏感だと思いますが、病気のことを子供に伝える際、何かポイントはありますか?
麻木 子供の年齢や性格によっても大きく異なると思います。治療で通ったがんセンターでは、親子連れをよく見かけました。私と娘に置き換えて感じたことは、大病を患うということは、病気になるまでのその人の“中間通信簿”が出るようなものだと思ったんです。ホルモン治療の最中はイライラするし、弱音を吐く時だってある。相手が子供でも親でも、そんな不安定な部分も含めて受け止められる関係性が築けているかが、重要だと感じます。
人間健康学部(スポーツ医科学科) がんを経験されて、改めて運動の重要性を感じることはありますか?
麻木 西洋医学はどんどん進歩しています。最先端の医療は効果が高く、インパクトがある。だからこそ、それを受けて立つ患者さんも、そのインパクトに耐え得る体力が必要です。私は幼少期から運動が大の苦手でした。しかし、今改めて思うのは楽しく体を動かすことが、継続につながること。そこで、今は自宅でトランポリンを飛んでいます!(笑)
医学部(医学科) がんを克服して気づいた自らの使命はありますか?
麻木 乳がん検診一つとっても、検診を受けている人はまだ少ないと思います。みなさんのように医療に携わる人と、例えばテレビの向こう側の人のギャップは想像以上に大きい。「忙しくてつい後回しに」「病気が見つかったら怖いから」とよく耳にします。そこで私は、今の治療の情報を発信し、そのギャップを埋めるような橋渡しがしたいですね。
医学部(看護学科) 患者さんの立場になった場合、医療者からはどんな対応をしてもらいたいですか?
麻木 治療中は不安だったり、気持ちが揺れたりします。そんな時医療者の方には、心のよりどころとなる“灯台”のような存在であってほしいと思います。がんの患者さんたちは、先生たちと一緒に闘った経験が時に強さに繋がることもある。みなさんにはそんな人の心に寄り添える医療者になってもらいたいです。